▶ 2014年4月号 目次

被災地をむしばむ「惨事便乗型”復興“」~東日本大震災から3年~(下)

松舘 忠樹


宮城県最南端、山元町。いちごが特産、宮城の湘南とも呼ばれる温暖な地で、退職後に移り住む人も多かった。600人余りが津波の犠牲になった。町はいち早く災害危険区域を指定し、集団移転を住民に迫った。区域指定にあたって住民との十分な話し合いはなかった。
町は移転地を内陸の3か所と決めた。海に近い地域を居住禁止とし、住民を内陸に集めようというものだ。宮城県庁の役人から転身した町長、以前から“コンパクトシテイ”が持論。震災直後、側近に「千載一遇のチャンス」ともらしたと伝えられる。「コミュニテイを保てるよう、まとまって移転したい」。2地区の住民が独自の移転案を提案した。町は却下。町が計画した3か所以外を認めると人口が分散するという。町議会で問責決議を受けたが、持論を譲らない。この町長は来月(4月)選挙を迎える。対抗馬が出る。

 仙台市宮城野区蒲生地区。七北田川河口に広がる干潟は、野鳥の楽園、海浜性動植物の宝庫。全国42の重要干潟の一つに数えられる。津波に流されずに残った住宅が多く、20数世帯が家をリフォームして住んでいる。ところが、仙台市はこの一帯を災害危険区域に指定し、集団移転を迫った。住民たちは区域指定の解除を求めたが耳を貸さないばかりか、仙台市は今度は区画整理事業を実施することを決めた。企業誘致する業務用地を作りだすのが目的だ。「ニ重の追い出し策」だ。住民たちの反発をよそに、事業は進む。