▶ 2014年4月号 目次
1973年・第四次中東戦争体験記⑦ -仏教書-
鶴木 眞
ヘブライ大学のユダヤ人学生から「日本では1週間のうち、何曜日が休日(安息日)か?」と尋ねられたことがある。私は即座に「日曜日にきまっているだろう!」と返答すると、予期しない反応が返って来た。それは「日本人はキリスト教徒なんだ」と妙に納得されたからだ。その学生の頭の中には、1週間のうち、何曜日を「安息日」とするかによって、どの宗教の信者かを判定する定規があったのだ。エルサレムにはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の信者が居住区を微妙に違えながら、共生している。事実、エルサレム旧市街は、イスラム教徒居住区、ユダヤ教徒居住区、キリスト教徒居住区、アルメニア・キリスト教徒居住区に4分割されている。それぞれの居住区にある商店は、金曜日、土曜日、日曜日と安息日の違いにしたがって店が閉まる。日曜日が休日なのは、決して全世界共通ではない。日本人が7日を1週間とした単位で生活し始め、日曜日を休日としたのは、明治以降のことに気が着いたのは、ユダヤ人学生のおかげだった。
第四次中東戦争(1973年10月6日)をアラブ側が仕掛けて来たのは、イスラム暦(「ヒジュラ歴」と呼ばれる)で最も聖なる月の「ラマダーン(9月)」であった。この月に行われる「断食」は日中にすることであって、日が沈んだ後は朝日が昇るまで普段よりも量の多い食事をする。しかも合理的な事情があれば断食は免除されるし、1日5回の礼拝も簡素化できる。いうまでも無く、戦争は合理的理由になる。中東での戦争は、宗教の教義解釈と密接に関連する。イスラエルとエジプトが休戦協定を結んだ後で、直ちに両軍が行ったことは戦死した兵士の遺体収容であり、遺体の身元確認であった。
両宗教ともに、宗派上の解釈は微妙に異なるものの、「終末の日の復活」を信じている。そのためにも遺体収容作業は最優先されるべき事柄なのである。現在でもアメリカが朝鮮戦争やベトナム戦争で、行方不明になった米兵の遺骨を探し続けている理由も、キリスト教との関連で理解できる。
留学していたヘブライ大学のキャンパスに動員されていた学生が12月頃になると段階的にではあったが、帰還して来た。クラスや学食などで顔見知りだった学生や教職員の中に、戦後まったく会うことが無くなった人も多くいた。今でも行き来しているイスラエルの友人、ヨナ・シデレールさん(米国コロンビア大学博士号)の二人の弟は、シナイ戦線で戦死した。バラク元首相と同じキブツ「ミシュマ・ハ・シャロン」の出であり、そこには記念碑が建てられている。ご両親は、ポーランドから1930年代に移住してきた筋金入りの「シオニスト」であったが、戦争後弔問に訪れたときは、憔悴しきっておられた。
3歳の幼児期に「B-29」の空襲を体験し、今でも黒こげの死体を多数目にしたことのトラウマと、傍観者とはいえ30歳を過ぎて現場で体験した第4次中東戦争の恐怖と悲惨さは、そう易々と「憲法9条」を破棄させてなるものかと思う。そして私は毎年、8月15日は「靖国神社」で祈り、不戦の誓いを新たにしている。
宗教は不思議なものだ。戦場で同じ死線をこえてきた友人のなかで、「神」を観た者と、「神」を捨てた者が居ることだ。
アウシュビッツ体験者にも同様のことが起きている。
鶴木 眞 (綱町三田会会員 東大名誉教授)