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北極にほれ込み、北極点目指す「北極男」を取材した

木村良一


なぜ、そんなにしてまで過酷な北極の旅を続けるのか。これを聞きたくて36歳の北極冒険家、荻田泰永(おぎた・やすなが)さんを取材した。
 荻田さんは今年の春、カナダ最北端のディスカバリー岬から北極点までの780㌔の海氷上を食料などの補給を一切受けず、独りで2台のソリ(計120㌔)を引いて歩く冒険に再チャレンジした。
 成功すれば日本人初、世界で3人目の快挙となるはずだったが、北極の厳しい大自然が行く手を阻み、計画の日数をオーバーして食料が尽きることが予測されたため、半分ほど進んだ44日目の時点で冒険を断念した。
 荻田さんは「来年、3度目の挑戦をする。自分がやりたいから」と話す。それが彼の生き方なのだ。そこにはどうして山に登るのかと聞かれ、「山があるから」と答えたイギリスの登山家、ジョージ・マロリー(エベレスト世界初登頂を目指し、1924年6月に遭難して死亡)の言葉と通じるものがあるし、「人はどう生きるべきなのか」「なぜ人は生きるのか」という究極の問いに対する答えを見つけ出すヒントにもなる。
 氷点下40度以下。目の前には果てしない雪と氷の世界が広がる。ホッキョクグマがテントを揺する。風雪が間断なく吹き続けるブリザードにも襲われる。凍傷の危険もある。これが北極だ。
 北極点までは北極海に張った氷の上を行く。だが平らな海氷が続いているわけではない。海が大きく動くと、氷と氷とがぶつかり合う。そうすると氷が盛り上がり、高さ10㍍の乱氷がいくつもできる。そんな乱氷帯を越えるために汗だくになりながらソリを押し、引っ張り上げる。汗はかいたそばから凍っていく。たいへんな重労働だ。出発前に83㌔あった荻田さんの体重(身長176㌢)は10㌔も減った。
 荻田さんは1977(昭和52)年9月1日に神奈川県愛川町で3人兄弟の末っ子として生まれた。神奈川県立愛川高校を卒業して神奈川工科大に入学したが、「自分が生きている実感が持てない」と大学生活に疑問を抱いて3年で中退した。アルバイトやカンパで資金を作り、カナダ北極圏の単独徒歩、犬ぞりによるグリーンランド縦走、一昨年と今年の北極点への無補給・単独・徒歩の挑戦などこれまで14年間に13回も、北極を旅してきた。その冒険を本にもまとめている。