▶ 2014年7月号 目次
平和ボケ日本の集団的自衛権 〜空転する議論〜
陸井 叡
「踏まれても、踏まれても ついてくる下駄(自民党)の雪(公明党)」と既に見越されていた自公協議は"合意"をもって終り、今月(7月)には、現行憲法はそのままに、解釈によって集団的自衛権を認める閣議決定が行われる運びとなるようだ。専守防衛、個別自衛権、集団的自衛権そしてドサクサまぎれに集団安全保障などの言葉が飛び交い、これらを"明白な危険"とか"関係が深い国"等の表現を使って繋ぎ合わせた閣議決定案がしめされている。
さて、ここで、突然、今から1700年余り前にアジア、ヨーロッパ、そして、中東を支配した フン族の王、アッティラ大王へと飛ぶ。今もって謎が多いアッティラ大王だが、部族を統率して行くキーワードを多く残した。その一つ。「自分の決断を認めさせるためにやたらに説明を要するような時は、その決断は誤っていると認めるべきである」という言葉がある。(ダイヤモンド社刊 ウエス・ロバーツ著 山本七平訳 「 アッティラのリーダーシップ」)
もう一度、自公協議に戻ると、両党の駆け引きで唯一説明を要しない明確な一言が自民党側代表の高村正彦副総裁から発せられている。「閣議決定に集団的自衛権という表現が入れば良い」というものだ。この一点を目指して自民党高村氏、公明党山口、北側氏のいずれも弁護士出身の政治家達が過去の判例などを元に"法理"を闘わせた。"牽強付会""曲学阿世"という批判をものともせず、アッティラ大王が聞いたら首を傾げる様な議論が罷り通った。この与党協議についての新聞社の世論調査でも「議論がよく分からない」という回答が半数以上に達する例が複数見られた。
一方、肝心の安倍首相はどこ迄分かっていたのか。首相の私的諮問機関 「安保法制懇」が報告書を公表した5月15日の記者会見で安倍氏は「自衛隊が武力行使を目的として(湾岸戦争のような)他国との戦闘に参加することはこれからも決してない」と述べ、国会答弁でも「他国の領土、領海、領空で自衛隊が戦うことはない」と繰り返し述べた。しかし、集団的自衛権とは、例えば、同盟国アメリカの要請に応じて、共通の敵(他国)と戦う権利というのが国際常識とされている。首相は個別と集団的自衛権との区別を曖昧にしていると批判され、特に、安保法制懇を支える外務省幹部からは「他国と戦うこともあると」明快に言うべきとの指摘も出た。
実は、今回の集団的自衛権の論議で"必死"に安倍首相を支えているのは外務省官僚群である。安倍首相が唱える"戦後レジームからの脱却"の外務省版と言っても良いかもしれない。外務官僚達は、外交交渉での切り札として集団的自衛権、集団安全保障を熱望している。背景には、戦後外交の舞台で外務官僚の出番が殆ど無かった事がある。これ迄外交交渉と云えば経済問題を巡る物が多く、そこでは、金融は財務省が、通商は経済産業省がというように担当省庁が仕切った。「外務官僚は白い手袋をはめてダンスをしているだけだ」と馬鹿にされてきた"戦後レジーム"がある。安倍首相が絶大な権力を掌握している今のうちに、例えこじ付けであっても憲法改正を待たずに悲願の外交カードを手にしたいという強い願望が覗く。
さて、今回の議論は、中国の海洋進出、北朝鮮の核・ミサイルなど日本周辺の安保環境の変化がきっかけとされるが、今迄のところ其れに具体的にどう取り組むのか 真剣な議論は少ない。集団的自衛権を巡る"虚しい"議論は多いが、中国と北朝鮮が日本に侵攻したら国民をどう守るか?一体今が、集団的自衛権、集団安全保障の閣議決定へ向けて"修辞学"的議論をしている時なのだろうか?むしろ、日本を取り巻く現実に合わせて専守防衛を国民のレベルで深める時ではないか。
今から27年前、1987年7月 イラン・イラク戦争が始まっていた。時の中曽根首相は、外務省の勧めにしたがって、ペルシャ湾の機雷を取り除くため自衛隊の掃海艇派遣を後藤田官房長官に相談したが、強硬な反対にあって断念した。「自衛隊は他国が日本に進攻した時に戦う部隊であって、海外で武力行使は出来ない」というのが後藤田氏の信念だった。平たくいえば、他人の庭を掃除する余裕はないということだった。
それから、12年後、1999年 日本海などでの有事に備える周辺事態法が成立、前年、北朝鮮がノドンミサイルの配備に入っていた。しかし、この法律に基づく、有事に備えた市民レベルの訓練を行う自治体は極めて少ない。もし、中国・北朝鮮から攻撃があれば、自衛隊は勿論、一般国民も逃げることはできない。安倍首相は、安保環境が激変していると言うが、それであれば、今は他国を心配している時なのだろうか。日本人は平和ボケしていると言われるが、この時になっても、他国に出かけて武力支援するというのは、むしろ、お人好し過ぎるのではないか。
叡Offce 代表 陸井 叡 (元NHK記者)