▶ 2014年7月号 目次

尊厳死法制化―高齢者終末期への理解を(上)

岩尾總一郎


はじめに
日本の高齢者人口がピーク(3500万人)になる2025年は、認知症高齢者が470万人を超え(人口の7人に1人)、ひとり暮らし老人が680万世帯(高齢者世帯の3分の1)に達する年でもある。そして、年間死亡者は160万人になると予想されている。しかし、病院や施設で看取ることができるのは120万人までで、政府が在宅での終末期看取りを推し進める所以でもある。

過去、厚労省の調査によると、人生最期の過ごし方については、できれば自宅で最期まで療養したいが、「介護してくれる家族に負担がかかる」、「もし症状が変わったときの対応に自宅では不安がある」ので、終末期には医療機関や施設を希望するという答えが多かった。一方、施設では職員の介護負担から、胃ろうのような経管栄養が当たり前となった。また、栄養補給しないということは餓死させることだという誤った思い込みのため、患者に無用な点滴を続け、水膨れの臨終になる。枯れるように死ぬのが生物の運命なのだが、家族も医療者もすべきことをしたと満足している。

衰弱し、意識がなく病院のベッドにつながれ、一日でも生き長らえる延命治療に価値があるのか。人間としての尊厳がどこにあるのだろうか。人生最期の生き方は誰からも強制されるものではなく、自己決定権の思想に基づく自らの選択が重視されるべきである。その実現のため、我々は元気なうちに「不治かつ末期では、延命治療や措置を断る」ことをはっきり意思表示し、医師にも伝わるよう「リビングウィル」の法制化を目指してきた。

国会議員の議論から
2004年、日本尊厳死協会は14万人に及ぶ尊厳死法制化の署名を集め、国会に陳情した。翌年、中山太郎参議院議員を会長とする「尊厳死法制化を考える議員連盟」が立ち上がった。現在、参議院議員増子輝彦会長のもとで議員数は168名にまで膨らんだ。12年、議連で「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案」がまとまった。この案には1案(医療の不開始)と2案(医療の中止を含む)の2種類がある。

各党持ち帰って議論となったが、生死にかかわる宗教・倫理観の問題があり、なかなか意見集約ができない。党議拘束を外して議員立法による今国会中の上程を図ったが、時間切れとなり、次回に持ち越しとなった。ここで、法案提出に至らなかった点を振り返ることとしたい。その多くは、議員が法案を正しく理解していないことによるのだが、以下は批判に対する当協会の考え方、反論である。
(社)日本尊厳死協会理事長 岩尾總一郎