▶ 2014年7月号 目次
尊厳死法制化―高齢者終末期への理解を(下)
岩尾總一郎
4:ガイドラインではなぜダメか
尊厳死法制化に際し、日本医師会は「ガイドラインでよい」と述べている。その主旨は、ガイドライン(GL)が発出された2007年以降、司法で裁かれることとなった終末期医療の問題は生じていない、したがって、今は法制度よりも、GLの普及を進めるべきというものだ。また、協会は自身で発行しているリビングウィル(LW)を全国規模で拡大するよう努力すべき、という意見を述べている。
司法で取り上げられる前のマスコミ報道が、医師の診療行為を委縮させることは事実である。実態として不起訴となっても、それまでに2年半から3年かかる。射水病院事件はそれ以上だ。その間は現場で診療することが憚られる。結果が出るまではほかの医師たちも自粛することになるのが、いちばんの問題である。
日本医師会版GL(08年2月)の末尾には、「終末期の患者が延命措置を拒否した場合、または患者の意思が確認できない状況下で患者の家族等が延命措置を拒否した場合には、このガイドラインが示した手続きに則って延命措置を取りやめた行為について、民事上及び刑事上の責任が問われない体制を整える必要がある」と記載されている。その法的な担保が今回の法案と考える。
厚生労働省の終末期医療の決定プロセスに関するGLは07年5月に発表された。厚労省GLは終末期医療及びケアの在り方として、医療従事者からの適切な情報提供と患者本人の意思決定が重要であり、医療行為の開始・中止等に関しては医療・ケアチームによる慎重な判断が求められるとしている。しかし、実体的に何をすれば法的責任(特に刑事責任)を問われ、何をしても法的責任を問われないかがわからない限り、現場は混乱するだけである。
昨年の厚労省調査で、GLを参考にしている医師は19.7%、看護師は16.7%、施設介護職員は22.7%であった。一方、医師全体の3分の1、看護師4割、介護施設職員半分以上がGLを知らないと答えている。自分の最期は、自分で決めるというリビング・ウイルの精神が生かされるためには、これらの意思を法律で認めてもらわねばならない。GLに法的担保を与える法制定が今こそ必要である。
おわりに
いまだ、「安楽死」と「尊厳死」の違いを明確に理解していない議員が存在するのは残念である。(社)日本尊厳死協会は西欧のような安楽死法を求めているのではない。医師の積極的な医療行為により、患者を死に至らしめる法律を求めているわけでは断じてない。我々は終末期の医療に関する自己決定の法的担保を求めており、結果として医師の免責が成立するものだ。
協会は、尊厳死の法的根拠を「基本的人権の一つ」としている。人が人としてもっている権利であり、憲法もそれを保障している。人は全て尊厳なる存在である。今日、人間性を無視して進んできたともいえる終末期の医療に対し、人間的な死に方を求める人たちの人権運動と協会は考えている。協会は、「死ぬ権利」を訴えているのではなく、「人生の最終段階の医療を選ぶ自由という権利」を訴えている。命を延ばすのも、命を諦めるのも同じレベルでの「選択の自由」として尊重されるべきだ。障害者団体が、延命によりどこまでも生きる権利を望むならば、当然、それは権利として認めるべきである。(完)
(社)日本尊厳死協会理事長 岩尾總一郎