▶ 2014年8月号 目次
被災者・被害者報道のあり方を考える~慶應義塾大学綱町三田会ミニゼミから~
米田亘
2014年度2回目の綱町三田会ミニゼミが、東日本大震災の「被災者・被害者報道」をテーマに7月2日、慶應義塾大三田キャンパスで開かれた。メディア・コミュニーション研究所の担当教授と、将来メディアを目指す現役学生や院生、それに研究所を卒業後メディア界に進んだ現役の記者らが、学生が事前に提出したレポートをもとに討議して設けたテーマで議論した。
「寄り添う報道」とは
今回のテーマで、学生がまず提起したのは、「報道は被災者に寄り添う形で行われたか」。「震災後の放射能汚染取材で、避難区域とされた福島第一原発から30キロ圏内にマスメディアが立ち入らず、かつ危険喚起を行わなかったことは問題ではなかったか」とのレポートを糸口に論議した。
現場取材を知る現役の記者らからは「寄り添う報道」の意味するものの定義が不明確だ、との指摘が共通していた。「物理的に大手マスコミが区域に立ち入らなかったことが、ただちに報道できなかったと直結させるのは、論理の飛躍」、「記者が圏内に残ることが危険を誘発する場合もある」との反論だ。「入りたくても入れない」厳しい状況の中で、報道機関が圏外からの電話取材や避難所取材などを行ったことも忘れてはならないとした。また、被災をしていない取材者が「寄り添う」ことを語ることが、報道の驕りではないか、との声もあった。
多様な被災地、多様な弱者 理想と現実
もう一つ学生側からは、復興期を通じてキーワードとして使われた「絆」に関する議論が提起された。「絆に象徴されるような、分かりやすいストーリー化を図った一様な報道が、一部の被災者を傷つけてしまうのではないか」という発問だ。
これに対し会員は一定の理解を示しつつ、自らの取材体験をもとに報道の理想と現実を語った。「災害報道には、被災者にとって助けになる情報の発信と、同時に広く震災の記憶の風化を防ぎ、災害を繰り返さないための報道と、2つの役割を担っている。そのバランス、時期・場所の問題も絡んでくる」。
「読み手に強い印象を残すために『絆』というキーワードや、カレンダー的な記事を書くことも、読者に震災の記憶を残す効果がある。一方で、それが復興とは程遠く苦しんでいる人々の存在を忘却させる負の効果もある」。「時間・紙面的制約が課されるという現実の中で、取材者はできるだけ多くの個人にスポットを当てるという理想を忘れてはならない。その上で、追い続けて行かなければならない深刻な話題と、同時に希望が抱けるような明るい話題も掘り起こして行く」など、の言及もあった。
ミニゼミ後の学生による反省会では、提起した「被災者・被害者報道」のあり方への視点を再考する声が目立った。報道の大義、理想を語るばかりではなく、こうした現場の声を積極的に取り入れて、現実的な視点も豊かにする必要性がある、と。
第3回は10月1日(水)を予定している。
米田亘(慶應義塾大学文学部社会学専攻3年)