▶ 2014年10月号 目次
苦い記憶の蘇(よみがえ)り、ジャーナリズムの病(やまい)を考える
佐々木宏人
筆者は今年の3月号「メッセージ@pen」に東京電力第一福島原発を視察したレポートを寄稿し、その結びとして「(福島は)叩かれながら日本最大の現場をコントロールしながらやっとここまできたという自負があるように思えた」と述べた。
筆者が見たのは本当に必死になっている東京電力を中心とする作業員達の姿だった。それだけに5月20日に朝日新聞が報じた特ダネ「吉田調書」の「所長命令に違反 原発撤退」には違和感をもった。「果たしてあの東電社員達が逃出すだろうか」という思いだった。違和感は的中し9月11日朝日新聞は特ダネを誤報として記事を取り消した。
この朝日新聞の9.11事件は、読者からの購読ストップも続出、朝日新聞にとって厳しい局面を生んでいるようだ。
元毎日新聞記者の筆者にとって苦い思い出が蘇る。新聞社にとって社会的に波及力のある事件を起こすと、それが読者との間に結ばれていた“信用”を崩す。その新聞社への信頼性に疑念を抱かせ、読者離れを起こし、致命的な傷を負わせる。その実例は毎日新聞でいえば西山事件だ。今から42年前の1972年3月、外務省機密漏洩事件で政治部の官邸キャップ・西山太吉記者が逮捕された。
沖縄返還協定で本来米国が支払うべき経費を、秘密裏に日本政府が肩代わりした密約を結んでいたことを追及していた西山記者が、この関係の外務省文書を入手、これをもとに当時の社会党議員が衆院で質問した。
毎日新聞は逮捕に抗議して大々的に「国民の知る権利」を訴えてキャンペーンを始めた。当時、筆者は駆け出しの経済部記者だった。権力のジャーナリズムへの挑戦と思い、社員大会の開催、役員への申し入れなど社内を駆け回った。
ところが西山記者が起訴され、その起訴状をみて腰を抜かすほど驚かされた。なんと同記者は外務省の女性職員を「ホテルに誘いひそかに情を通じ---」機密文書を入手したことが書かれていたのだ。読者からの「女性をかどわかして情報をとるとはなにごとか」という抗議、取材先と飲むと「うちの女性に手を出さないでよ」という冷やかし。
わずか3週間、あっという間に“知る権利キャンペーン”は尻つぼみになった。販売店からは「読者からの契約解除が相次いでいる」という名目で、いわゆる本社からの予備紙・通称「押し紙」の返上が相次ぎ、1割以上、約40万部の部数を落したといわれる。
それからは毎日新聞は、坂を転げ落ちるような経営的な苦難が始まり、5年後には事実上の倒産ともいっていい新社と旧社の分離という荒治療に追い込まれた。西山記者が権力の秘密の壁を突破としようとしたことはジャーナリストとして当然だったろう。しかし市民の常識を越える取材方法はそれが明らかになった時、読者から大きなしっぺ返しを受ける。
今回の「吉田調書」の誤報問題、特ダネを何とか大きく見せたいと言うジャーナリズムの病が基本にあるのではないだろうか。そしてそれが自社の脱原発、東電叩き路線にマッチするということで、掲載に至ったのではないか。そうだとすれば各社ともそのジャーナリズムの病を持っている。新聞全体が多元化するメディアの中で相対的な地位を低下させている中で、朝日叩きに走るだけではなく、ジャーナリズムとは何かを深掘りするため自分の足元も見直す必要があるのではないだろうか。
ジャーナリスト 佐々木宏人(元毎日新聞記者)