▶ 2014年10月号 目次

歴史をこえ再び十字軍と新月軍対決へ
~「イスラム国」攻勢の背景~   

鶴木眞


 中東の政治的混乱は、この地域が地政学上、異なる大きな文明圏同士の接触回廊となっていることに根本的な原因がある。ギリシア・ローマ文明〈ヘレニズム〉、キリスト教文明、イスラム文明の接触回廊としての歴史的蓄積は、現在と未来に多面的に影響を与え続ける。それは時として、政治・社会情勢の「安定」要因ともなり、「不安定」要因ないしは「流動」要因となる。歴史にとらわれず、資源や経済的財の交流回廊としても、ロシア・北ヨーロッパからアフリカへの南下には、必ず通らねばならない回廊である。さらに、アジアとヨーロッパの東西交易にとっても必ず通らねばならない回廊である。中東地域に埋蔵される膨大な量の石油が最も重要な経済的財としてクローズアップされている現代は、中東地域は単なる地政学的に通り過ぎるための「回廊」ではなくて、経済的財が運び出される回廊の出発点でさえある。
 11世紀、アナトリアからシリアが北ヨーロッパのキリスト教徒にとって目的地への重要な回廊になった。「神がそれを望んでおられる(Deus lo vult)」の『呪文』をかけられた中世ヨーロッパの信心深い多数のキリスト教徒が、異教徒の手に落ちた聖地エルサレム奪還に向かったからだ。キリスト教徒にとっては、「義挙」。他方、突然、攻められることになったイスラム世界は、はじめ「野蛮なフランクども」(アラブ側から見た十字軍)が、何をしに侵略してきたのかさえ理解できなかった。十字軍はアンティオキアでも、エルサレムでも都市を陥落させると、異教徒(ユダヤ教徒も含む)に対して、極限状態の残虐さで殺戮しまわったことが史実として残されている。
 キリスト教徒の残虐行為の理由を、塩野七生は次のように表現している。「普通の戦闘ならば、戦闘を前にして兵士たちを激励するのは司令官の役割になる。それが十字軍では、この役割を務めるのは司祭や修道士たちであり、その背景にあってこれらの聖職者たちに権威を与えるのは、司祭や大司教であった」。