▶ 2014年11月号 目次
政治家とご意見番 (上) 中国の古典に学んだ政治リーダーたち
上毛野 哲人
有能なリーダーには、達識の士と言われるご意見番がいた。難局に直面すると、悩みを聞き大所高所からアドバイスする。政治の世界では、こうしたアドバイザーや直言の士を持っているかどうかは、リーダーの大事な力量とさえ言われた。(敬称略)
ご意見番といえば、首相を辞め引退してからの吉田茂がある。吉田学校の直弟子、池田勇人と佐藤栄作が党内で主導権争いをしている時、田中角栄(元首相)が、大磯の吉田邸を訪ねた。用事を済ませて帰りかけると、吉田は「呑舟の魚は枝流に游(あそ)ばず」「河海細流を択(えら)ばず」と2枚の色紙に書き、2人に渡すよう頼む。意味はいずれも首相を目指そうとするのなら、ささいなことで争いをするなという内容である。
田中はすかさず自分にも1枚書いてほしいと頼む。吉田は「蛟竜(こうりゅう)雲雨を得」と書いた。「いまはじっくり勉強をして時が来るのを待て」という意味だ。2枚の色紙に霊験があったかは聞き忘れたが、池田と佐藤は年齢の順で首相になった。
日米戦争で焼け野が原になった日本経済は池田勇人政権の時代に立ち直るきっかけをつかむ。財務省(旧大蔵省)でくすぶっていた池田を、事務次官に抜擢したのは石橋湛山蔵相(後の首相)だ。これがきっかけで池田の前途が開く。
池田は、日ごろ政治家は「3人の友人を持て」と言った。1人は一流のジャーナリストだ。不思議に思われるかもしれないが、首相になると3つのものが見えなくなるという。1は金の値打ち。首相のポストはいくらでも金が使えるし、「機密費」もふんだんにある。2は権力の自制が利かなくなることだ。側近ばかりに囲まれるから、心地良い話しか耳に入らなくなる。竹下登が「首相になったら、情報が丸くなった」と言っていたが、そのことを言ったのであろう。
3は庶民感覚のマヒである。ある中堅代議士が当選したての頃、「政治家になるとすべての交通機関のパスがもらえる。初めは一般の人は高い代金を払ってグリーン車に乗るのに、国会議員は顔パスで乗るのは申し訳ないと言う気になったが、1年もたつと空席がないと腹が立ってくる。権力とは恐ろしいものですね」と言った。これなどは良心的な人種に属する話だろう。ジャーナリストは社会の動きに接しているから、遠慮のない直言が聞けると言うのである。
2人目は宗教家、心の友である。トップは物事を決めるとき執務室で、1人で孤独の決断をする。佐藤栄作は首相公邸で夜になると般若心経を読んでいたという。3人目は医者だ。医者には小医,中医,大医がある。国の病を治すのは大医で、トップは心身ともに相談相手になる大医が必要だと言うのだ。
ご意見番というと安岡正篤がふさわしいだろう。安岡は陽明学者で、儒教の古典などから現代に必要な知識を分かりやすく解説することで知られ、「安岡帝王学」と呼ばれた。「平成」という元号は、安岡が中国の古典から選んだとされる。
自民党が安岡を招いて「帝王学講座」をホテルの一室で開いた。「講座」は安岡が亡くなるまで続く。中曽根康弘、ニューリーダーと呼ばれていた竹下登、宮澤喜一、安倍首相の父親、晋太郎らもメンバーだった。テキストは、論語をはじめ孟子、十八史略、貞観政要、戦国策、孫子などの有名な故事から、現代の政治活動にも生かせるような教訓を、かみ砕いた解説した。筆者も出席する機会があったが、安岡は背筋をぴんと伸ばし名調子だった。当時この講義を聞いた長老議員は、「政治家としての責任感とか勇気が湧いてきました」と、今でも懐かしそうに語る。当時の自民党幹部が、政治家も古典の素養が必要だと考えていたことは驚きである。
忙しい現代人にも参考になりそうな講座の一端をご紹介しよう。
「天下の目を以て視、天下の耳を以て聞く」
淮南子が説くリーダーの心構え。トップは2つの目でしかものを見ないが、国民は何万何千という目で政治家を注視している。だから日ごろ言動に注意することが大事だと言う意味である。後姿が寂しいのはよくない。常に「頭上満々、脚下満々」で、エネルギーがほとばしっていることが欠かせないと言っている。
「小人天下をとれば災禍並び起こる」
大学にある言葉で、心構えの小さい人物がトップに立つと、災難や災害が起こり、対応もまずいから被害が拡大する。トップの力量の大事さを説いた。陽明学者、大塩平八郎が天保の大飢饉の時に奉行所に、窮民救済の嘆願書を出したが聞き入れられず、反乱を呼びかけた有名な「檄文」の冒頭にも使われた一句である。
「国に争臣あれば亡びず」。
出典はメモしていないが、「争臣」とは「諌官」のことで、トップが勝手なことばかりやり出したとき、身を挺して諌める側近のことである。皇帝が側近に諌官を置いたことは注目されてよい。
国会議員の3分の2は何らかの世襲議員と言われる。セレブ議員も少なくない。だから政治学者などから、政治家の小物化、経験不足を指摘する声が出る。先輩政治家の教訓や失敗談を生かす工夫がいま大事なのではないか。
上毛野 哲人(元共同通信記者)