▶ 2015年1月号 目次

「どう生まれてどう死ぬか」 これが今年最大の医療テーマだ

木村良一


 医療技術の進歩によって出産や死の形が大きく変わってきている。しかし社会がそれに追いついていけない。不妊治療の「生殖補助医療」と、延命治療を求めない「尊厳死」の問題である。人間はどう生まれ、どう死んでいくのがいいのか。生命倫理の大きな問題だ。この生と死について今年(2015年)こそ議論を深めたい。
 たとえば夫の精子と妻の卵子を体外受精し、その受精卵を第三者の女性の子宮に入れて子供を産んでもらう代理出産。妻に子宮がなくても遺伝的に夫婦とつながる子供を持つことを可能にした医療技術だ。
 代理出産は出産という体へのリスクを第三者に負わせるという倫理的問題が根底にあり、「産みの母」と「遺伝上の母」という2人の母親が存在し、複雑な親子関係が生じる。海外では産みの母が子供に愛着が生まれて引き渡しを拒絶したり、生まれた子供に障害が見つかって夫婦が引き取りを拒んだりするケースも出ている。
 この代理出産に代表される不妊治療に対し、自民党のプロジェクトチーム(PT)が昨年、議員立法の形で生殖補助医療法案を作り上げた。法案では妻が生まれつき子宮がないか、あるいは病気で子宮を摘出した場合に限って代理出産を認めている。
 法案は基本的な人工授精や体外受精も対象として①精子と卵子の売買を罰則付きで禁止する②精子と卵子の斡旋は国の指定の非営利団体が行う③厚生労働大臣が認定した医療機関で実施する-ことも盛り込まれた。
 子供が自分の出自を知りたいと希望したときの対応については、精子や卵子の提供は匿名で行い、提供者の情報は国で管理して開示制度を設けるよう求めた。
 しかし法案は自民党内で意見がまとまらず、国会に提案できずに終わってしまった。今年こそ生殖補助医療法案を国会に提案してもらいたい。提案されれば国民の間で議論が深まり、社会全体が真剣に考えるようになるからだ。
 これまで厚労省も法整備を目指して審議会で議論を重ね、2003(平成15)年には報告書をまとめた。日本学術会議も2008年に見解を出している。しかし法制化は見送られ、ルールのないなかで代理出産などの不妊治療が行われ、祖母が孫を出産したり、夫の死後に冷凍保存された精子で子供を産んだりするケースも出るなど、問題を残したまま今日まできてしまった。