▶ 2015年1月号 目次

新聞の転回点だった2014年 ―朝日と読売― Ⅱ

高瀬仁平


 朝日新聞による従軍慰安婦報道を検証する第三者委員会の報告書が、先月(12月)22日に公表された。虚偽だった「吉田証言」の誤報を放置したうえ、2014年の8月に過去の記事を取り消した際に謝罪をしなかったことに対して、「読者の信頼を裏切る」と批判する内容だ。11月には、東京電力福島第一原発の吉田昌郎元所長の「吉田調書」をめぐる朝日新聞の報道について、同社の報道と人権委員会が「公正で正確な姿勢に欠けた」との見解を発表しており、朝日新聞が受けたダメージは大きい。
 本欄では前回、原発の「吉田調書報道」について、「特定の物の見方を客観報道に優先させた誤り」と書いた。第三者委員会による今回の慰安婦報道の検証でも、「思い込みや先入観」が働いたことが指摘されている。しかしこのコラムのテーマは、朝日報道の検証ではなく、「報道への過剰な価値判断の混入」についてである。論を進めたい。
 解散報道で読売新聞が先行した衆議院選挙は、与党の勝利で終わった。読売は投票日翌日の12月15日、さらに16日の社説で「重い信任を政策遂行に生かせ」「経済戦略の強化を最優先せよ」と書き、アベノミクスの継続を主張した。日米同盟強化を目指す安保法制整備、そして憲法改正論議を深めよとも説いている。読売の社論としては当然の展開であろうが、気になるのは、圧勝した最高権力者に対するメディアとしての注文がほとんど見らなかったことだ。わずかに、「与党に対する国民の支持は『野党よりまし』という消極的な面が強い」。「強引な政権運営は慎むことが大切だ」とあるくらいで、これは批評と言えるものではない。日本最大部数の新聞が安倍首相に「盛大な拍手」をしているのである。
 読売の論調の基本には、政治の安定があってこそ日本の発展はある、という考えかたがある。しかし政治の安定と、一体化に近いまでの政権擁護の姿勢は、決して同義語ではあるまい。政治の安定を願うあまり、政治の問題点をきちんと指摘しないのは本末転倒である。それは、社論であっても事実の積み重ねの中で鍛えられたものでなければならないという、ジャーナリズムの基本をおろそかにすることになる。
 前回も書いたが、原発や沖縄の基地問題などでは、社論と一般ニュースの取り上げ方がシンクロし、社論とは異なる社会的ニュースは取り上げない。扱っても小さいという傾向が目立ってきている。社論を基本にした一般ニュースの選択による紙面では、情報の幅が狭くなりやせ細ってくる。