▶ 2015年2月号 目次
「イスラム国」出現の背景にある思潮
鶴木眞
安倍首相の中東訪問外交への強烈な異議が、「イスラム国」によって日本人人質の殺害予告という形で表明された。「イスラム国」の実態とは如何なるものであるのか?現在、多くのメディアで、「専門家」と称する人たちがご高説を開陳しておられる。しかし今回の途方もない高額な身代金要求と人質解放を交渉するルートを、具体的に指摘することは誰も出来ない。「イスラム国」の実態は、本当のところ誰も支配地域に行って直接自分の眼で見たこともないからだ。机上の解説だけであれば、米国や英国の情報機関や国際テロリズム分析を主題としている研究所などの公開資料や、アルジャジーラ、NYタイムスなどをモニターしていれば、それなりの情報は入手できる。
中東地域研究や国際政治学、歴史学の知見を基盤に、「イスラム国」を解説した卓越した書物は、東京大学准教授の池内恵(さとし)君の『イスラム国の衝撃』(文春新書1013、2015年1月)である。私が東京大学で教えた学生の一人であった。「イスラム国」の実態は、イスラム教原理主義過激派の「無慈悲なテロリズム」集団としてだけがすべてであるのだろうか?
世界地図を開いて中東の国境線を見ると、定規をつかって直線を引いたとしか思えない。この国境は誰が決めたのか?第一次世界大戦後、オスマントルコ帝国領を英・仏両国が分割支配する「サイクス・ピコ」秘密協定の結果に他ならない。「イスラム国」はシリアとイラクの国境にまたがる領域を支配下に置き、さらに既存国境を無視していると英・仏や米国は警戒感を露わにしている。その地域に歴史的に根付いた人々にとって、現在の国境はヨーロッパ列強に押し付けられたものに過ぎないのだ。
十字軍時代にはヨーロッパよりも文明的に高く、イベリア半島やバルカン半島、ヨーロッパの一部を支配下に置いていたイスラム教徒が、19世紀以来、ヨーロッパとの闘争に負けつづけて味わった屈辱は、「倍返し」して晴らさなければならない。こうした思潮は、イスラム社会の底流として脈々と流れている。それをどの様に実現するのか?世俗的ヨーロッパ近代主義の導入か、イスラム社会の原点に回帰すべきか、あるいは政治的には現状維持を貫きながら石油資源を駆使して欧米を追い込むのか。
イスラム原理主義は、この屈辱への「倍返し」を背景にして生じた思潮であり、その中にも穏健派から過激派まで相違がある。過激派の中にも欧米への報復を主眼とする「アルカイダ」から、「イスラム国」のように領域支配を目指すものまで存在する。
カルバンのスイスにおけるキリスト教原理主義に基づく支配が多数の信心の薄いとされた者を処刑したように、「イスラム国」でも同じことが現代社会の一角で行われているのだ。
現代イスラム社会への基本的視座を「西洋キリスト教」近代文明から受けた「屈辱の払拭」に置けば、ヨーロッパの旧植民地宗主国社会や米国社会で疎外感を強くして生活しているイスラム教徒の青年の一部が、イスラム原理主義思想に魅かれる理由も理解出来る。たとえ法律であらゆる差別を禁止しても、イスラム教徒ゆえに経済的底辺の生活を余儀なくされている限り、歴史的屈辱感は現実生活で直面する屈辱感と共鳴しホスト社会への憎悪となる。そこに原理主義過激派の煽動者がつけ入る余地が生じる。「イスラム国」の戦闘員として、あるいは「アルカイダ」のテロリストとしてリクルートされる背景はここにあるのだ。
「アルカイダ」のテロは生活空間における「屈辱の払拭」を目的とした。これと対照的に「イスラム国」は地理的領域支配を目的としている。その点ではかつてのアフガニスタンの「タリバン」と共通点がある。しかし「タリバン」の領域支配は米軍の軍事力で粉砕されてしまった。今、アフガニスタンでは、「タリバン」から「イスラム国」へ所属変更が相次いでいると言われる。究極的にイスラム原理主義教徒にとって「屈辱の払拭」は、西洋近代社会と対抗できるイスラム独自の領域社会の復活なのであろう。
私の見解に賛同するか否かは別にして、まったく特定の視座を持たずに、意味不明な「人道」を叫んで巨額の金銭を中東地域にばらまく現在の日本政府の姿勢は、世界、特に欧米諸国の嘲笑を買うだけである。お金に印が付いているわけでもなく、軍備増強に使われる可能性も高い。日本の「十字軍」参加を非難された対抗手段として、「人道援助」といくら抗弁しても、意味不明な空言と受け取られても仕方がない。
「テロには屈しない」と声高に叫ぶ以前に、イスラム社会の底流にある思潮を理解し、その中にある一要素としての原理主義過激派をいたずらに苛立たせるような日本の指導者の言動を控えかつ慎み、テロリズムの標的とならないような外交を工夫すべきであろう。
鶴木眞(東京大学名誉教授 塾員)