▶ 2015年3月号 目次
イスラム大国インドネシアのISIS報道
山本信人
呼称は厄介である。2014年からイラクとシリアをまたいで勢力を伸ばしている組織にISISがある。インドネシアでは一般にISISなる呼称が流通しているが、メディアではNegara Islam Irak dan Suriah と説明を付けることが多い。文字通りイラクとシリアのイスラーム国家を意味する。その代わり、アメリカやそれに倣う日本のようにISILを使用することはない。ISILとはイラク・レバントのイスラーム国という英語の略称である。どちらの呼称を使用するかによらず、ISISは2014年にアブ・バクル・アル・バグダディの下、アル・カイーダから分裂したテロ組織と旧フセイン軍の残党が融合した組織である。
日本政府がISILを用いるようになったのは、2015年1月に日本人2名が人質になってからであり、それ以前は「イスラーム国」の呼称が一般的であった。ただこの呼称には深刻な問題が潜んでいた。キリスト教の公会議とは異なり(史上初の公会議は325年のニカイア公会議)、イスラーム教には聖典の統一的な解釈を実施する機構は存在しない。そのためにイスラーム教にはキリスト教以上に宗派は細かく分かれているだけではなく、「正統」な聖典の解釈も存在しない。イスラームでは特定の言葉をこのように解釈します、と一般化できない。こうした基本的な事項をおさえておくと、2014年初頭からISISの呼称に「イスラーム国」をあてていた日本の政府と報道機関の理解不足は明らかであった。ISIS の後半部分にイラクとシリアとあるように、どこの地域や空間のイスラーム国であるかがムスリムのあいだでのイスラーム勢力図の理解にとって基本となる。つまり世界にはイスラーム国が多数存在するのである。サウジアラビア、エジプト、イランなどのアラブ圏や中東、中央アジア諸国のみならず、マレーシア、インドネシアもイスラーム国である。
ISISが他のイスラーム国と異なるのは、後者が近代主権国家の領域性と主権の相互承認のうえに成立しているのに対し、ISISは国際社会における概念と慣習に挑戦している点である。そしてISISはシーア派を敵対視し、スンニ派の国家樹立を目指す。一部誤解があるISIS関連の事案では、2010年代に入りナイジェリア北部に勢力圏を拡大しているボコ・ハラムがある。ボコ・ハラムはISISとは異なるイデオロギーをもち、西洋教育を否定しシャリーアによる教育を主張する。いまではカメルーンにも勢力範囲を拡大しているが、欧米諸国が目くじらを立ててボコ・ハラム対策に乗りだすことはない。中東におけるスンニ派とシーア派の対立に危機感を欧米諸国が抱いているのは、イラン・イラク戦争(1980−1988年)の悪夢を想起させるからである。
さて、イスラーム国であるインドネシアではISISがどのように報道されているか。ISISが台頭した2014年以降の報道を追っていると2つの特徴が浮かびあがる。第一は国際報道としてのISISである。しかもテロリスト集団としてISISを位置づけている。この点は、2001年以降のアル・カイーダをめぐる報道の延長線上にある。2015年1月にISISによって殺害された2名の日本人をめぐっては、放送で扱われることはあまりなかったが、新聞報道ではカイロ、ベイルート、そして東京からの外電の形が多い。後藤健二さんについては、同じジャーナリストという観点からの記事もあった。
第二に、放送と記事を含めた報道の量では、インドネシア国内でのISISシンパの活動あるいはそれにともなうイスラーム少数派への暴力に関するものが圧倒している。インドネシアからは、1980年代のアフガン戦争以来、イスラーム絡みの戦闘に義勇軍として参加するムスリムが絶え間ない。イスラーム過激派の国際ネットワーク網の浸透に、インドネシア当局は気を揉んでいる。2002年から05年にかけては、爆弾テロ事件を起こしたジェマ・イスラミアが名をはせたが、それはアル・カイーダ関係の資金と軍事訓練が東南アジア地域で展開していたことの証左でもあった。ご多分に漏れず、インドネシアからもISISの武装活動に参加する輩はでている。報道によると、14年6月の時点ではISISに合流したインドネシア人は86名であったが、10月時点で264名にまで膨れあがった。当局としてはその阻止に躍起となっている。14年12月には、南スラウェシの中心都市マカッサルでは、家を売却してシリアへ渡航する直前に一家4名が拘束された。このような国内でのISISシンパの拘束や監視活動についての報道はあとを絶つことがない。
インドネシアでのISIS報道をみていると、テロ一般に関する報道の特徴と限界の共通点が浮かびあがる。それは、①ジャーナリストやメディアが直接テロ活動に従事する当事者に取材することがほぼ不可能であり、②情報は政府当局から発信されるという点である。情報の信頼性は政府の正当性にかかっている。ところが、ソーシャル・メディアが発達した2005年以降はテロをめぐる報道に顕著な変化がみられるようになった。ISISの事案が典型であるが、テロ組織自体がメディア部門を有し、独自のメディア戦略を展開しているのである。
ISISが作成した情報や映像を再生産することは、かれらの思いの壺である。バランスのとれたテロ報道は存在するのか。テロ報道はジャーナリズムへの挑戦として浮上している。
山本信人(慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所長)