▶ 2015年5月号 目次

科学記者養成の問題点「良い記者自然発生説」の経営者たち

隈本邦彦


私の持論は「良い記者自然発生説」。「良い科学記者というものは、放っておけば組織内に自然発生する(例えば庭の空き缶にボウフラが自然に涌くように)」という説である。
そんなばかな、と思われるかもしれないが、新聞、テレビを問わず、メディア企業の経営者たちは、この「良い記者自然発生説」を信じていると考えざるを得ない行動をとっている。医療、原発・環境問題など科学知識を必要とする重要ニュースが増え続けているのに、その伝え手である科学記者の育成は、基本的にOn the Job Training。要するに系統的でない“徒弟制度”で行われているのが現状だからだ。記者たちは基本的に自分で勉強するか、その時々先輩や取材先に教えてもらいながら成長していく。おそらく記者の育成なんてそれで十分と経営者たちは考えているのだろう。育成方法を改めようという組織的な動きはない。
1987年のことだった。私はNHK報道局の記者として「遺伝子診断の最前線」というリポートをした。遺伝子診断技術の急速な進歩で、診断できる病気の数が増え、絨毛診断という新技術の登場で妊娠9週という早い段階で胎児の遺伝子異常が診断できるようになったという内容だった。放送後しばらくして、私は先輩から「キミのリポートが問題になってるらしいね」と言われた。デスクに聞いてみると、放送後、障害者団体から質問状と抗議文が来たという。「放送は遺伝子診断の良い面ばかりを強調し、遺伝子による障害者差別を助長する」という趣旨であった。
入社7年目で経験が不十分だった私は、自分の放送のどこが問題だったのかがよくわからなかった。そこで、その団体に電話をかけたところ、きょうは埼玉で役員会があるのでそこに来たら?と勧められ、そのまま参加することにした。脳性まひの人たちでつくる「青い芝の会」だった。彼らは「出生前診断が社会に広く普及すると、既に生まれた先天異常児や障害者が『間違って生まれた存在』と受け取られ、差別の助長につながる」という強い危惧を抱いていた。確かに少子化が進む中で「完璧な子どもが欲しい」という社会の風潮が広がっている。そんな状況で、テレビが「遺伝子診断と出生前診断の技術が進歩している」と医学的事実を単に伝えただけでは、視聴者が「障害児を生まなくて済む便利な技術が登場した」と受け止めてしまう危険性は高い。