▶ 2015年6月号 目次
水深44mからのメッセージ
~KBS77日闘争から何を学ぶ~(上)
羽太 宣博
セウォル号事故に対するKBSの報道姿勢は、どんな点が問題になったのであろうか。
2014年5月29日午前5時、韓国放送公社・KBSの2つの労働組合がストライキに突入した。キル・ファンヨン(吉桓永)社長の解任を求めた無期限の全面ストライキであった。キル社長は、大統領府青瓦台の圧力を受け、旅客船セウォル号の事故報道にたびたび介入したとの疑惑の真只中にいた。この日、セウォル号報道をめぐるKBSの内紛は、報道への政治の介入疑惑を追究する、かつてない規模の労組の闘争へと転じた。
その日午前6時、ソウル近郊のアパートで起床してまもなく、筆者の携帯電話が鳴った。KBSワールドラジオ日本語班の社員からだった。2つの組合がストに突入したとの原稿を出稿するので、「校閲委員」である筆者にチェックを依頼する連絡であった。原稿が出稿されるまでの時間を見越して自宅からKBSに向かった。到着したのは6時45分だった。朝の集会が連日開かれているKBS本館の正面玄関前は平穏だった。数人の組合員が集会の準備をしているだけで、ストライキに入った緊迫感はなかった。KBSワールドラジオのホームページからアクセスできるニュース原稿のアーカイブスによれば、校閲を終えた原稿が掲載されたのは、午前7時36分4秒となっている。組合幹部がマイクを使って演説を始めた直後だった。
キル社長の解任を求めたKBSの無期限・全面ストライキは、丸8日間192時間続いた。キル社長の解任の是非を問うKBS理事会は、統一地方選挙の翌日6月5日、7対4の賛成多数で解任案を表決。これを受けて労組側は翌6日午前5時にストをすべて解除した。また、KBS社長の任命権者であるパク・クネ(朴槿恵)大統領が10日、キル社長の解任を承認し、7月25日に理事会の推薦を受けた新しい社長を任命した。キム・シゴン(金時坤)報道局長がキル社長による報道への政治介入を暴露した5月9日から数えて、77日目のことである。
この「77日闘争」によって、KBSはセウォル号事故に対する当初の報道姿勢で損ねた国民の信頼を再び取り戻すことができたのであろうか。また、報道への政治の介入疑惑を解明し、報道の自由を守ることができたのであろうか。闘争の歩みを振り返りながら、この闘争から学ぶべきものについて考察することとする。
まず、KBSにおける報道への政治介入疑惑について、その経緯を簡単に振り返っておこう。
疑惑が浮上したのは、ストライキに突入する20日前の5月9日であった。キム報道局長が大統領府青瓦台の圧力を受けたキル社長が報道内容にたびたび介入したと暴露し、キル社長の辞任を要求したのが発端であった。キム局長は、セウォル号の犠牲者の数について、交通事故の犠牲者と比較しながら「あまり多くない」などと発言し、遺族らから厳しい批判を浴びて辞任を求められていた。キル社長は翌10日、遺族らに謝罪するとともにキム局長を解任したことを報告する。これに対し、KBS報道本部の部長級18人が16日、キル社長の辞任を求めて役職を返上、19日にはニュースアンカーや特派員38人が制作を拒否し始め、KBSの看板ニュースが短縮される事態となった。一方、キル社長は「地位に執着しないが、今は辞任について話すのは不適切」などと主張し、辞任要求を突っぱね続けた。28日、キル社長の解任案を審議するKBS理事会が開かれた。9時間に及ぶ審議の末、解任案を表決することができず、表決を6月5日に先送りした。KBSの2つの労組はこれに抗議し、29日午前5時、そろって無期限の全面ストに突入したのである。
筆者は、KBS本館5階にあるKBSワールドラジオ日本語班の校閲委員として、この一連の動きの一部始終を目の当たりにしてきた。労組側は毎朝7時半から9時の始業開始時間までの間、本館正面玄関前で朝の集会を続けてきた。ストライキ突入の朝、窓を閉め切った5階の日本語班にも、労組幹部による演説や組合員のシュプレヒコールが響いた。いつもよりも心持ち高いボリュームに、社長退陣を求める労組の闘争心と団結の強さが伺えた。その後、社長ら役員室のある6階に通じる5階からの階段や廊下でも集会が開かれるようになった。ストライキの参加者はあわせて4000人近い。最大規模となった闘争で、KBSは内外ともに異様な雰囲気に包まれていく。ひしひしと伝わってくる重苦しさに、セウォル号事故をきっかけにまたぞろ顕在化した報道に対する政治介入疑惑のもつ重大さを感じ取ることができた。
(中につづく)
写真:KBS本館