▶ 2015年6月号 目次
水深44mからのメッセージ
~KBS77日闘争から何を学ぶ~(下)
羽太 宣博
KBS77日闘争はどう評価すべきであろうか。韓国に在住する筆者の知人からは、「あのときのKBS社員たちの姿はすごかった」「KBSの闘争は韓国社会の注目を浴びた」などの声が聞かれた。また、「若手ジャーナリストにとって、公正な報道(To be fair in news broadcasts)を考えるきっかけになった」と積極的に受け止める発言もあった。その一方、報道への政治介入疑惑を解明できなかったことについて、メディアに詳しい大学教授は、韓国メディアと言論統制の歴史に照らし、今回の闘争でも「大きな変化は得られなかった」と述懐する。また、李明博政権下でメディア関連法が改正され、公権力による報道の掌握が強まったと受け止める国民が多かったことを指摘し、今回のKBSの闘争は、「ある意味で起こるべくして起きた、特段の驚きをもって迎えられたわけではないと思う」と述べている。この教授は、産経新聞ソウル支局の加藤達也前支局長が地元新聞などの記事を引用してウエブ上にコラムを掲載して、パク大統領の名誉を毀損したとして在宅起訴され、8か月にわたって出国禁止となった事件にも言及し、次のように述べた。「韓国内には、産経が一線を越えたという認識もある一方で、あれはやり過ぎだ。韓国にとってマイナスだったという見方が多いと思う」、「韓国の記者はジャーナリストという意識よりも啓蒙者としての意識が強く、報道の自由というところとはそもそも遠いような気もする」と論じている。KBSの闘争について、「大きな変化は得られなかった」という教授の発言の背景には、韓国社会の底流を知るウオッチャーならではの見立てが見てとれよう。
報道の自由は古今東西、時に公権力に繰り返し脅かされてきた歴史をもつ。日本ではこの4月、自民党の情報通信戦略調査会がテレビ朝日とNHKの経営幹部を呼び、コメンテーターが官邸を批判した「報道ステーション」、やらせ問題が指摘された「クローズアップ現代」の内容について事情聴取を行った。野党や一部のメディアからは言論・報道の自由を脅かすものとして厳しい批判が出たのは周知の通りである。筆者は、政府や政党が個別の番組内容をめぐって報道機関と接触することは、慎重かつ抑制的でなければならないと考えている。公権力を背景にした事情聴取は、状況によっては報道機関を懐柔・圧迫し、自粛を促す手段として悪用されかねないからである。
その一方で、今回のテレビ朝日とNHKの番組内容をめぐる事情聴取で問題となった報道の自由論議には、どこか緊張感に欠けていた。KBS労組が77日かけて守ろうとした報道の自由とは、何よりも真実を追究し、国民の知る権利に応えるための手段として、メディア自らが守り抜くべき厳格なものであることを三思する必要があろう。
KBS闘争の最中、欧米向けのニュースに携わる韓国人ジャーナリストに、報道への政治介入疑惑について質問したことがある。政治的に微妙な立場だったのか、質問には答えずに次のように語った。「今言えるのは、なぜ事故が起きてしまったのか。なぜ高校生たちを救うことができなかったのかということだけです。そう苦悩することが新たな変化をもたらし、将来、セウォル号事故がすべての転換点だったと言える日がくるのを待ち望んでいる」。その言葉には、報道の自由という表現がないとはいえ、報道に対する政治介入が今も忍び寄る韓国メディアの現状が伝わってきた。また、同時に自らの報道姿勢を正し、国民の知る権利に応えようとするジャーナリストの志が溢れ出ていると思った。
セウォル号が沈没してから韓国より帰国した前日の9月1日まで139日間。筆者が校閲したセウォル号事故関連の原稿は147本であった。今も水深44mに沈むセウォル号は、その1本ずつに、遺族に寄り添ったか、事故原因の真実に迫ったか、国民の知る権利に応えたかと自問自答するよう問いかけているように思えてならない。
羽太宣博プロフィール:NHK記者として秋田局、社会部、国際部、シドニー支局、衛星放送部キャスター、テレビニュース部などを歴任。その後、NHKコスモメディアヨーロッパ・放送担当副社長としてロンドンの駐在、KBSワールドラジオ校閲委員としてソウルに駐在。現在、NHKワールドのNEWS LINEやABUアジア放送連合のニュース素材交換を担当。