▶ 2015年6月号 目次

不思議な組織「イスラーム国」:モヤモヤ感の不気味さ

鶴木眞


『国家』を名乗る存在が、国際政治全体を脅かす
 不思議な組織「イスラーム国」(IS)が、中東の政治的現状を論理的に分析できなくしている。著名な中東専門家の一人である酒井啓子氏(千葉大学教授)は、その状況を次のように表現している。「長年中東を見て来た我々が、何故『イスラーム国』にモヤモヤした感じを抱くのか。それは、これまで我々が中東を分析してきたときの基本的な枠組みや軸が、『イスラーム国』にあてはまらないからである。」(学士會報No.911)あえて言えば、枠組みや軸の当てはまらなさは、中東分析のみならず、近代政治学の前提にまで及ぶのである。
 近代国家の成立期、特に絶対主義時代に、中世の神学的秩序に対抗する必要から「国家主権」を明確化する必要が生じた。そのためには自国の人民と領土を他国から差別化すると同時に、国家存続と維持強化を「自己目的」としたのであった。日本においても、「明治国家」は、まさにそうした「近代国家」であった。政治学では、「国家理性」(レーゾン・デタ)という概念が用いられる。
 「イスラーム国」は、国家存続と維持強化を必ずしも最重要な「自己目的」としていないところが、モヤモヤした感じを抱かざるを得ない理由のひとつになっている。つまり、自分たちを「イスラーム国」と名乗って、「アルカイダ」と異なり、領土としての空間的領域の獲得に大きな関心を示しながら、国際社会に対して「国家承認」を要求しないのである。現実には、占領して支配下に置いた地域・自治体の支配構造や財源の活用、石油資源の闇輸出、噂されるサウジアラビアなどからのアングラマネーの流入、誘拐や人質に絡んだ身代金ビジネスを基に、確実に政治・経済の自己充足圏は成立しているのである。
 再び酒井氏を引用するなら、「このような非合法な経済活動によっても国家は担われうるのだという、苦い現実」がある。「ある国の安全性や経済発展の度合いが、これまでそれを分析するのに使われて来た公的な指標では、全く推し量れないことを意味する。・・・GDPにも経済成長率にも、公的な貿易統計にも表れてこないような『国家』を名乗る存在が、国際政治全体を脅かす。」としている(前掲論文)。
「イスラーム国」に存在する現実的政治感覚
 私が「イスラーム国」にモヤモヤした感じを抱くもう一つの理由は、イスラエルへの対応の仕方である。「アルカイダ」は不倶戴天の敵として、米国とイスラエル、アメリカ人とユダヤ人を筆頭に掲げた。しかし「イスラーム国」が殺戮対象といている敵は、イスラエルでもなければ米国でもなく、彼らの領域支配にとって障害となるイスラーム教シーア派や、在地のキリスト教徒たちなのだ。