▶ 2015年8月号 目次

“強制”にこだわる韓国対日外交
〜「明治日本の産業革命遺産」をめぐって~

畑山康幸


 7月5日、「明治日本の産業革命遺産」がユネスコの世界文化遺産に登録されることが決まった。これに関連して日本代表は声明で「意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者らがいた」(against their will and forced to work)と述べ、岸田外相はこれについて「強制労働を意味しない」と説明した。しかし、韓国の尹炳世外相は「日本政府が『強制労役』があったと発表した」と語り、『朝鮮日報』(7月6日付)は「“韓国人の強制労役”明示することに」と報道した。
 韓国は7つの「産業革命遺産」で5万7900人が“強制労働”させられたと主張していた。日中戦争期の1938年に国家総動員法が公布され、1939年に朝鮮人の労務動員が「募集」の名目で始まり、1942年には「官斡旋」、1944年には国民徴用令が発動され、多くの朝鮮人が樺太を含め全国各地に「徴用」された。徴用が“法的強制”をともなったにしても、賃金が支払われるなど、ナチス・ドイツなどの“強制労働”とは明らかに性質が異なる。しかし韓国ではそもそも韓国併合を不法、不当と考えるため、「徴用」はもちろん、「募集」や「官斡旋」をも“強制”に含めている。それにしても韓国はなぜ“強制”にこだわるのであろうか?  韓国の描く近代史は「受難と抵抗」の歴史である。韓国民(朝鮮民族)は、日本に侵略され植民地化された被害者であり、大韓民国臨時政府を樹立するなど日本に抵抗し、最後には勝利した栄光ある民族である、というものである。教科書、ドラマ、小説、メディアでの報道など、すべてがこの史観に沿っており、韓国ではこれが「正しい歴史認識」であり「歴史の真理」である。こうした歴史認識に立つ限り、労務動員された朝鮮人は被害者(=受難者)でなければならない。動員が自発的になされたのでは、「受難」に合致しないため、あくまでも強制されたものでなければならない。
 「受難と抵抗」史観は、解放後の南北朝鮮におけるアイデンティティーの確立と関係している。韓国の歴史家・李萬烈は「解放祖国の再建は何よりも各分野に浸透して民族の精気を曇らせた日帝の残滓を清算することから始めなければならなかった」(『韓国近現代歴史学の流れ』2007)と指摘した。南北朝鮮は、日本のはたした役割や功績を“残滓”として否定し、“民族の精気”をよみがえらせるために、国家と民族の歴史に栄光の物語をつくりあげる必要があった。こうして形成されたのが「受難と抵抗」史観である。
 また解放後の韓国では、「親日派」の人々をやりだまにあげ、それを徹底的に批判する“政治的報復”が行われた。それは今も継続している。
 「親日派」とは日本に協力したとされる人々を指し、民族反逆者、売国奴の意味である。総督府官吏、警察官、日本軍軍人、対日協力文学を発表した文学者、国策映画を制作した人々、軍需産業を経営した経済人らが「親日派」に分類される。朴槿恵大統領の父親・朴正熙元大統領は、日本の陸軍士官学校に学び満洲国軍人であったため、一部から「親日派」と断罪され続けている。朴槿恵大統領自身「親日派の娘」とも批判された。
 韓国では1948年に反民族行為処罰法が制定され、日本統治に協力したとされた人々がこの法の処罰対象であった。さらに、盧武絃大統領の時代にも親日反民族行為真相究明特別法がつくられ、「親日派」のリストが作成されたり、子孫の財産が没収されたりした。