▶ 2015年8月号 目次

今も続くドイツの謝罪、補償―日独で異なる戦後処理

栗原 猛


戦後70年、日本と同じ敗戦国ドイツは、今や欧州連合(EU)の優等生といわれる。その背景には経済力や技術力だけでなく、今でも政府首脳が、ナチス軍が殺害事件を起こした周辺諸国の村を回り謝罪、今年5月には長年続けられた旧ソ連軍捕虜生存者への補償をまとめるなど、和解への努力の積み重ねが大きい。

◆戦争犯罪を自らも裁く
日本はよくドイツと比べられるが、占領形態の違いもあり比較は難しい。ただ1990年の東西ドイツ統一の際に周辺諸国から異論がなかったのは、戦後処理に一定の理解があったからとされる。
第2次世界大戦の敗戦で、ドイツは東西ドイツに分断され、米、英、仏、ソ連(現ロシア)4か国が進駐、日本の占領は米国だけだった。占領政策も日独で異なる。日本は民主主義が未熟だとして政治、経済、税制、地方自治、教育の民主化の徹底に重点が置かれた。ドイツでは反ナチ化だった。
   戦争裁判では日本は極東国際軍事裁判、ドイツはニュルンベルク国際軍事裁判で裁かれる。この裁判については「勝者の裁き」との批判があり、ドイツでは自国の裁判所でも裁く。結果、9万人以上のナチス関係者を起訴し、有罪判決は7千件に上った。西ドイツ議会が「ナチス犯罪の時効を廃止し永久に追及する」とした決議も重い。日本は自ら戦争犯罪を裁くことはなかった。
戦後処理も複雑である。被害国も東西に分断され、講和条約を結べる環境になかった。石田勇治東大教授(ドイツ現代史)は「このためにドイツは日本のような包括的、抽象的な謝罪ではなく、56年に制定した連邦補償法を基に個別事象的、具体的な謝罪になった」と、指摘する。

◆領土4分の1を割譲
最大の被害国、ポーランドに対してドイツは、戦前の国土の4分の1(約13万平方キロ)を割譲。現在のポーランド領土の3分の1に当たる。犠牲者600万人以上とされるユダヤ人の多くは、ポーランドに住むユダヤ人だったが、48年にイスラエル建国後はイスラエルとも交渉をした。
補償交渉は西側諸国(スウエーデン、ノルウエー、デンマーク、ルクセンブルグ、ギリシャ、スイス、オーストリア、英国、イタリア)と、旧ソ連圏の東欧諸国(ポーランド、チェコ、ハンガリー、ルーマニア、ユーゴ)とでも異なる。東欧諸国は一括して西ドイツに要求したが、これはドイツ統一後に対応する。この時ネオナチ運動が盛り上がったが、何度も補償をすることに若者たちの反発があったとされる。