▶ 2015年8月号 目次

「御巣鷹から30年」あの墜落事故の教訓を忘れるな

木村良一


1985(昭和60)年8月12日、日本航空のジャンボ機(B747)が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落した。機体は大破し、乗客乗員520人の命が奪われた。助かったのは女性4人だけ。世界の航空史上、最悪の惨事となった。
 この事故から30年が過ぎる。事故を知らない世代も多くなってきた。確かに30年という歳月は長いが、パイロットや管制官ら航空関係者は事故の教訓を忘れてはならない。それとともに次世代に教訓を伝えていく必要がある。
 事故の原因は修理ミスだった。事故機は7年前の78(昭和53)年に大阪空港でしりもち事故を起こしていた。この事故で壊れた機体後部の圧力隔壁(アフト・プレッシャー・バルクヘッド)の修理に米ボーイング社の修理チームが当たった。しかし作業員がリベットの打ち方を誤り、隔壁の強度が十分に保たれていなかった。その結果、飛行を繰り返す度に隔壁には気圧差から金属疲労による亀裂が生じ、事故当日にはその亀裂が一気に裂けて客室から噴き出した空気で垂直尾翼やハイドロ(油圧駆動システム)などが次々と破損し、操縦不能に陥った。
 航空機は飛行中に機体がトラブルを起こすと、墜落してしまう危険がある。このためひとつの部品が機能しなくなってもすぐには構造全体の破壊には進まず、安全に運航できるように設計されている。この設計をフェイルセーフと呼ぶが、航空機は機体の随所にこの設計思想が生かされ、安全が保たれている。
 もちろん御巣鷹の尾根に墜落したジャンボ機も、このフェイルセーフなど航空技術の粋を集めてボ社が設計・製造した当時の最も安全な航空機だった。それにもかかわらず単純な修理ミスが、悲惨な大事故につながってしまった。修理ミスによる隔壁の破損から起きる事故など想像もしていなかった。事故は想定外のところから起きる。これが御巣鷹の事故の大きな教訓だ。
 たとえば6月30日に起きた東海道新幹線の火災。71歳の男が焼身自殺し、巻き添えで52歳の女性の乗客が死亡した。新幹線は日本の安全システムの象徴で、開業以来、火災による事故を起こしたことはなかった。ましてや乗客が車内にガソリンを持ち込んで自殺するような行為は予想していなかった。