▶ 2015年10月号 目次
中国・いまに生きる科挙―進む英才教育
佐々木宏人
9月末に久しぶりに、一週間、駆け足で中国の北京、上海、日本人憧れの敦煌にも近いシルクロードの入り口でもある蘭州を訪問する機会があった。中学校の理科の先生で校長をリタイヤーされた先生方と総勢9人のチームで回った。中国の初等・中等教育の現状と、環境エネルギー問題を視察しようという、当方の関係するNPO法人主催なので事務局としてお供した。
中国旅行にはトラウマがある。訪問先の官公庁との夜の会食は、「カンペイ!カンペイ!」と強烈な茅台酒、紹興酒などを飲まされ本当にグロッキーとなったことが、何回となくある。
ところが今回の旅行では現地の教育委員会関係者などとの夜の会合では、お酒は一切無し。すこぶる健康的な会合となった。通訳者にそっと聞くと、例の習近平主席の腐敗摘発、公費による豪華宴会の自粛令などで、中国名物“カンペイ!”のやり取りはストップしているのだという。なるほどそうか!中国は今なお上意下達の社会主義国家であることを再認識した。
その中で上海、北京で視察した中学校、高校学校の教育現場の様子は、本格的にグローバリズムに取り組む開かれた中国の姿を垣間見せていた。特に反日教育というが、日本語のできる人材教育に本腰を入れている姿もあり、一筋縄ではいかない中国の現状を示していた。
上海の中心街に近い所にある国立の6年制の中高一貫校「上海市甘泉外国語中学」は、全校生徒が1600人のうち、なんと600名が日本語専攻の生徒だという。このうち卒業時には同時通訳一級の資格を取る生徒が数十人は出るという。中には卒業後、直接日本の一橋大学などの有名大学を受験して合格する生徒もいる。
日中関係がぎくしゃくしている中で「確かに一時、応募の生徒数は減る傾向にありましたが、このところ日本への観光客が増える中で日本への関心も高まる傾向もあり、持ち直し傾向が出てきています」(同校教師)。いずれにしても小学校を卒業した子供たちが600人も、同校で日本語を学んでいる事実に驚かされた。1人1台のティーチングマシンで会話の訓練などが出来る30人の規模の教室、「明日は上海地区の日本語スピーチコンテストが行われます。当校の生徒も参加します」と講堂はその準備がされていた。校庭の片隅には日本家屋があり、その中にはお茶室まである。日本人よりきれいな日本語を使う中国人の日本語教師が「生徒が日常、日本文化に触れる機会を作っています」という。
しかし日本語詰め込み教育だけをやっているわけではない。生物、化学、物理など理科の授業に使われる教室も完備して、その資材も豊富だ。同行した先生方も日本の公立中学よりその充実振りに感心していた。校庭では近づく体育祭の準備なのだろう、生徒たちが掛け声をかけて行進している。「教員も大学院卒業の人たちも多くなり、確実に教育レベルはアップしている」(同)という。
この学校は国際都市・上海の対外交流の窓口の人材を育成するため、1954年に設立された。1972年に日本語重視の教育体制が取られるようになり、「培養未来知日家的揺籃(未来の親日家の揺籃(ゆりかご))」(劉国華校長)と位置付けられているという。「日本語を特色として多言語教育を発展させるのが学校の特色」(同校長)。英、仏、独、露、韓など数カ国を学べる体制を取っている。
卒業後はほとんどが大学に進学することになる。しかしこの進学競争は甘くはない。全国規模での大学進学希望者の共通試験がある。全国で普通高校の在学生は2500万人(2011年中国教育統計年鑑より)、日本の10倍の人数だ。この中で約2000万人以上の高校生がこれを受ける。しかしこの上位10万人のランクの中に入らなくては、北京大学、清華大学、上海交通大学などの有名大学の受験資格はとれない。「一回の試験で人生が決まるようなもの」(日本在住の上海交通大学卒業生)という。それだけにこの学校でも生徒の勉強振りは熱心なものがある。日本語学科のある大学を目指す生徒は必死だ。日本の大学に留学する学生も多くなる。
北京など主要都市の有名中学では、語学、科学技術分野などでの早期才能開発を目指す「突出したイノベーション人材早期開発培養実験クラス」(略称・「早培クラス」)を作り、一クラス当たり10~20人の少人数クラスを作り、専門家、大学教授を招いての生徒の興味を伸ばす英才教育を行っている。「上海市甘泉外国語中学」もその一つのケースといえる。
13億人の人口を抱える中国には、ゆとり教育を言っていてはとてもではないが、グローバル人材を供給できないのだろう。英才教育こそ教育システムとして優先しなくてはいけないのだろう。「中国全土から英才を選抜した科挙(中央役人の選抜方法)の精神は今でも生きていますよ」(中国人通訳)という。
日本の教育現場では、これまで格差是正の「おちこぼれ救済教育」というのが主流。しかし学年に数人はいるという、理科や生物など飛び抜けて特定な教科のできる生徒の能力を伸ばすシステムはないといって良い。「日本には飛びぬけた力を持っている、いわば落ちこぼれではなく“吹きこぼれ”ともいうべき生徒を伸ばすシステムが完備していない」という指摘が、現場の先生から聞こえてくる。
上海甘泉外国語中学で見た日本語英才教育を行っている現場を見ると、太平洋戦争中、英語を“敵性言語”といって排除した戦前の日本の歴史がよみがえる。帰国後書店に並ぶ嫌中、嫌韓本のコーナーを見ながら、中国語を話せる中高生の英才を増やす方法を考えた方が日本と中国の理解を深めることになるのではないかと、考え込んでしまった。
佐々木宏人(元毎日新聞記者・NPO法人ネットジャーナリスト協会事務局長)