▶ 2015年11月号 目次
東京・春画展 驚きのにぎわい
佐々木 宏人
「現在のところオープンから10月までで約6万人の入場者が来ています」、計算すると12月19日までの閉幕まで20万人程度の入場者が見込まれそうだ。入場者(18歳以下入場禁止)の年齢層も、老若男女万遍なく、男女比率も偏りがないという(同展広報担当者の話)。
東京・文京区目白台の美術館・永青文庫で開催されている「春画展」(9月19日~12月23日まで)。普段は江戸川沿いの高台の都心とは思えない閑静な場所、向かいには松尾芭蕉が住んだという「芭蕉庵」がひっそりとたたずむ。
平時の午前。目白駅からのバスでカトリック関口教会前を降りた若いカップル、シニアの御夫人グループ、おしゃれなソフト帽にセンスの良い替え上着にきこなした老人などが、横断歩道を渡り砂利道を歩いて続々と詰めかける。土日は四列に並んで20分から一時間待ちが普通という。
知り合いの都内のある区立美術館の館長に聞くと、二ヶ月程度の期間の美術展で出し物にもよるが「1万人から2万人が入れば成功の部類ですよ、永青文庫のような小さな美術館で、月6万人というのはすごい、信じられない数字です」
「お宅で引き受ければ良かったのに‐‐‐」と冷やかすと、「イヤー、細川元総理大臣の持つ400年続く細川家のお屋敷跡に建つ、永青文庫さんだから引き受けられたんですよ、我々のところで開催したら区議会、教育委員会、マスコミなどが絡んでフクロ叩きに合って大騒ぎになったと思いますよ」。
この春画展、2013年から2014年にかけて英国の大英博物館で開催され異例の18歳未満入場お断り、普段は無料開放されているのだが7ポンド(1200円)―ちなみに日本では1500円―、会場は長蛇の列ができ入場者は9万人と大成功を収めた。注目すべきはその入場者の6割が女性だったことだ。「人類史上、最もきわどくて素敵」(英紙・インデペンデント)、ガーディアン紙は美術展の5段階評価で4を付けた。これまで5はつけられたことがないので最高ランクの評価となった。
この展覧会を日本で―と浮世絵を扱う画商を中心に国内美術館に開催を働きかけたが、有力美術館は尻ごみをして、最後の最後に引き受けたのが永青文庫の理事長で元首相の細川護煕氏。細川氏は「春画展日本開催への熱い思いに応えて、及ばずながらご協力した」と語っている。お坊ちゃまで怖いもの知らずの細川氏ならでは決断だったろう。
会場をまわると四階建てとはいうものも、これまで細川家の茶道具や工芸品などが展示されていただけに、浮世絵に絞った展覧会場としては不向きな感じもしないではない。しかし出品されている作品は大英博物館で展示されていたものなどを150点近く展示されている。展示品には有名な葛飾北斎の「タコと女性」、喜多川歌麿の「歌まくら」、鈴木晴信の「縁側に三味線」といったこれまで図版でしかお目にかかれなかった浮世絵界のスーパースターの現物、中には肉筆画が目に飛び込んでくる。これまであまり知られていなかった今年1月「芸術新潮」で大特集をやって大反響のあった、大阪の浮世絵師・月岡雪鼎の精緻なリアリズムには度肝を抜かれる。
ポルノといえば「“下品”、“猥褻”イコール芸術性ゼロ」というのが、明治以来の日本の一般的な見方だったのではないだろうか。しかしここに展示されている春画作品を見ると、われわれが世界に誇るフランスの印象派などに大きな影響を影響を与えた浮世絵師が、通常の作品と全く変わらず全身全霊をかけてこれらの作品に取り組んでいたことがよくわかる。女性の表情、その気持ちをあらわす髪の毛のほつれ、季節に合わせた凝った着物の模様、部屋にある家具、そして猫や犬、驚くほど繊細に描ききっている。一切手を抜いていないことがうかがえる。大英博物館で人気を博したのも、従来の浮世絵と同じ技量でこれらの「おとことおんなの秘め事」の春画を書いている驚きではなかったのではないだろうか。
なんでこんなに当時の一流の浮世絵師が、一生懸命に描いたんだろう?
会場でカタログ(4000円!高いけどおすすめ、「18歳未満の方の目に触れませんように、お取り扱いにはご注意願います」という注意書きが入っている)を読んでいてやっとわかった。
やはり春画については、江戸時代初期から何回も出版禁止令が出されていた。
しかし大名の息女のお嫁入り、大商人の娘の嫁入りなどには、これを必要品として必ず長持ちに入れて持たせたものだという。そして嫁入りに付いていくお付きの侍女が、お姫様に見せて教育をしたのだという。また庶民もアングラ出版されたこれらの春画を、家々を回る貸本屋から借りて楽しんだようだ。
一時は浮世絵の多色刷りも贅沢禁止令で公に出版できず、北斎、歌麿、春信という一流浮世絵師も、このいわば地下出版の多色刷りの春画に全精力を込めて制作したのだという。そして大名や大商人が、大金を払ってこれを購入する、というシステムができていたわけだ。
世界的にもこれほど巧緻に描かれた「おとことおんなの秘め事」は例がないようだ。ヨーロッパにはキリスト教のあからさまな性をタブー視する伝統もあり、このような春画は存在しない。
それだけに大英博物館の展覧会の成功は、大げさに言えばキリスト教のタブーを乗り越えたのではないだろうか、春画も日本の浮世絵の素晴らしさの一つと、きちんと再認識したのだろう。
どうやら日本でも永青文庫のにぎわいを見ると、ヨーロッパで解き放たれたタブーは、日本でも新しい感覚できちんと春画を再評価しようという動きになってきているのではないだろうか。
とにかく偏見なしに、一度見に行くことをおすすめるする。
佐々木 宏人(元毎日新聞記者)