▶ 2015年11月号 目次

<シネマ・エッセー> 海難 1890

磯貝 喜兵衛


< ♬ ここは 串本 向かいは大島 ♬ >で有名な串本節は、大阪毎日新聞記者だった 矢倉広治さんが和歌山県南部の民謡に作詞し、昭和初期に全国的に流行させた。この映画が制作される発端はその串本町(旧大島村樫野)の寺で手紙が見つかったことだった。

1890(明治23)年9月、オスマン・トルコの軍艦「エルトォールル号」は日本訪問の帰途、台風のため和歌山県大島沖で沈没。乗員600人以上が嵐の海に投げ出され、69人が島民に救助された。この時、地元の村医者がけが人たちの手当をし、トルコ側からその医療費を請求するよう求める手紙が送られて来たが、日本側からは「苦しんでいる人を助けただけ」と断わりの返事をしていた。そのいきさつが書かれた手紙に感銘を受けた田中光敏監督が映画化を企画し、日本とトルコの合作映画が誕生した。

映画の前半は「エルトォールル号」の遭難・救出劇にあてられ、後半は95年後のイラン・イラク戦争勃発により、テヘランで起きた邦人救出劇で、今度はトルコ政府が救援機を派遣して日本人家族ら215人を救う話である。

「エルトォールル号」は木造・3本マストの帆船に石炭エンジンを搭載した 軍艦で、3年前、小松宮親王夫妻がトルコのイスタンブールを訪問した答礼に日本へ派遣された。一行が皇居で明治天皇に謁見し、スルタン(国王)からの親書を奉呈し、帰国の途についた直後に遭難事故が起きる。

座礁現場の串本で行われたという撮影は迫力があり、特に医者(内野聖陽)と村人たちが嵐をついて生存者を岩礁から救出し、けが人をけんめいに手当するシーンには胸を打たれる。