▶ 2015年12月号 目次

MRJ初飛行 日本の航空産業を活性化できるのか

木村良一


 国産初の小型ジェット旅客機「MRJ」が初飛行に成功した。国産旅客機の開発は、戦後初のプロペラ旅客機「YS11」以来、半世紀ぶり。それだけにMRJに大きな期待がかかる。
 果たしてMRJの開発は、日本の航空産業を活性化させ、自動車のような基幹産業へと育て上げる基盤となり得るのだろうか。
 初飛行が行われたのはYS11の「11」が並んだ11月11日。夕刊各紙は1面トップで初飛行成功を大きく報じ、翌日の各紙の社説にも期待が込められた。
 MRJは三菱重工業の子会社、三菱航空機が開発を進める小型ジェット旅客機。大きさはジャンボ機の半分。乗客約100人を運べる。1機約60億円。軽い炭素繊維複合材と最新鋭のエンジンによって燃費性能を海外ライバル社の従来機よりも2割向上させた。
 MRJのMは「ミツビシ」、RJは都市と都市を結ぶ近距離運航に適した「リージョナル(地域の)ジェット」を指す。RJは経済発展を続けるアジアや中南米での利用が期待され、今後20年間で5000機の需要が見込める。
 ところがMRJへの期待にもかかわらず、開発計画はこれまでに5回も延期され、初飛行も予定より4年遅れた。その影響でここ1年以上、新たな受注はない。RJの市場はカナダとブラジルの航空機メーカー2社が独占し、ロシアや中国も進出を狙う。日本が競争を勝ち抜くのは容易ではない。
 しかも三菱航空機では2017年4月~6月にかけて1号機を全日空(ANA)に納入する計画で、それまでに安全性を保証する型式証明を取得しなければならない。型式証明は国内外の航空会社に新型機を引き渡すための必要条件。今後計2500時間もの試験飛行を行い、日本の国土交通省や米国の連邦航空局(FAA)などの審査に合格しなければならない。試験飛行の結果、再び設計変更や部品交換を繰り返す可能性もある。これからが正念場だ。
 それにしてもこれまでどうして計画が大幅に延期されたりしたのだろうか。
 零戦に象徴されるように日本の航空産業は戦前、世界トップレベルを誇った。しかし敗戦後7年間、連合国軍総司令部(GHQ)によって航空機の飛行と製造が禁止され、技術力が落ちるなど大きな痛手を負った。