▶ 2015年12月号 目次

“外交は切れても文化は切れない” ~日韓文化交流とジャーナリズム~ 上

羽太宣博


 日中韓3か国による首脳会議が11月1日、ソウルで開催された。歴史認識、尖閣、いわゆる従軍慰安婦などの問題をめぐって、日中、日韓いずれの関係も冷え切ったなか、3年半ぶりの開催となった。その共同宣言は、首脳会議の定例化を確認するとともに、北東アジア情勢や経済協力など5つのテーマ、56項目にわたる合意を盛り込んでいる。メディアの論調は、北東アジア情勢や北朝鮮の核問題、先行き不透明な経済問題を中心に伝えた一方、日中、日韓の関係を展望・解説するものが主流であった。これに異論を挟む余地はない。
 とはいえ、国際社会の事象を国家・国際組織と並び、個人や文化の枠組みでも捉える筆者は、4つ目のテーマ「人々の間の信頼及び理解促進」にも着目する。このテーマでは、相互の文化交流の拡大、平昌、東京、北京のオリンピックを通したスポーツ交流、青少年交流などの14項目が盛り込まれている。こうした民間レベルの人的交流が国家レベルの外交とともに、じんわりと2国間関係を形成しているとの認識が次第に定着し、国際社会の総体を示すには欠かすことができなくなっているからにほかならない。
 筆者は、2012年9月から2年間、韓国KBSワールドラジオの校閲委員として、ニュース原稿をチェックするとともに、週1回、ラジオ番組「玄界灘に立つ虹」のパーソナリティを担当した。番組では月1回、「見た!韓国の素顔」と名付けたコーナーを設け、日韓文化交流の現場を継続取材し、関係者へのインタビューを交えて、録音構成の番組として放送した。
そこで、本稿では、この「見た!韓国の素顔」で放送した日韓文化交流の一端を紹介し、その意味や可能性、また、文化交流に向き合うジャーナリズムの在りようについて考察する。

 今年は、1965年に日本と韓国の国交が正常化して50周年の節目である。両国間の人の往来は、国交正常化当時、年間でさえ1万人規模だったものが、現在では1日1万5000人にまで増え、様々な分野で相互依存関係を深めている。このうち、民間レベルの文化交流については、1998年の日韓パートナーシップ共同宣言、翌年の日韓文化交流会議設立、2002年の日韓国民交流年と日韓ワールドカップ、2005年の日韓友情年などにより、2000年以降急激に活発化した経緯がある。