▶ 2015年12月号 目次
“外交は切れても文化は切れない” ~日韓文化交流とジャーナリズム~ 下
羽太 宣博
「見た!韓国の素顔」の取材では、文化交流の意味と可能性を探ろうと、厳しさを増す日韓関係について問い続けた。その問いに、どのような声が実際に返ってきたのかだろうか。
まず、2014年1月に放送した「J-POPコンサート」では、出演した日本の女性アーティストから、「外交や政治は切れても、歌や文化は切れない」との言葉が返ってきた。
文化交流の意味や可能性を示す明快な言葉として象徴的であった。また、コンサートを支援した民間団体の幹部も 「音楽というコンテンツは、国同士の垣根を越えるものを作る瞬間がある。政情は関係ない」と語る。このほか、2014年4月の「日本大使館公報文化院 筝曲教室」では、10年以上続いてきた琴の稽古ぶりを紹介したものである。毎月一回東京からソウルを訪れ、韓国の女性たちに琴を教える師匠は、「国と国の摩擦は感じない。10年前と変わらないし、5年前と今もちっとも変わらない・・・(生徒と)気持ちが通じているというのが実際の気持ちです」と述べた。これに対して、生徒が「普通の人の関係は政治とは違う。個人と個人では、考えたことない」と応ずる。2013年12月の「日韓クリスマスチャリティコンサート」で出演した児童の母親は、「日韓関係は難しくなっているが、子どもたちはお互いに近づこうとしている」と話す。「韓・日・中共同制作演劇「祝/言」の舞台」では、演出家が「中国、韓国、日本(という国)を取ったら人だけが残る。その人と人との交流を私は魂の交流と言っている」と明言。主演の韓国人女優が「違う国から集まっても、結局同じ人間・・・、中国、日本、韓国と国で分けても意味がない」と重ねる。2013年9月にソウルで開かれた「韓日交流おまつり」では、ボランティアの活動に焦点をあてて紹介し、800人の募集に韓国の高校・大学生1200人が応募している。そのボランティアを束ねるソウル市の職員が言う。「政治的なことで、一喜一憂する時代ではないと思う。国民同士は、リアルタイムでインターネットやSNSでつながり、親しくなっている」と。このおまつりは、日韓国交50年の今年、11回目を迎えて盛大に開催され、およそ6万人の市民が相互の伝統文化や歌・踊りを楽しんだという。韓国で現在日本語を学ぶ生徒は、年々減少しているものの、高校生を中心に84万人に及ぶ。2013年7月の「高校生日本語スピーチ大会」では、入賞した光州市の男子3年生が仲間から「日本人なんて昔も今も悪いやつばっかりだろ!なんで日本語なんか勉強するのか」と責められたことを明かしながら、「自分の心の中では、日本と韓国が一つになっている。多くの人が片方に偏った考えを捨てられる日が必ず来ると信じている。その日がくれば日本と韓国が仲直りするのは朝飯前でしょう!韓国、日本、がんばれ!」とスピーチを結び、複雑な思いに駆られたことを憶えている。
最後に、日韓文化交流に当時重要な役割を果たしていた日本と韓国の2人の発言を紹介したい。まず、日韓双方が設立した「文化交流会議」の韓国側座長の鄭求宗氏は、「政治的な摩擦とは関係なく、文化交流は進む。もう逆戻りはできない」と語る。これに対し、ソウルの日本公報文化院の院長の道上尚史氏(当時)は、「文化と外交は自転車のペダルのようなもの。政治外交も重要だが、文化交流、青少年交流は続けていくことが大事。何かあったら、止めるのではなく続けていくことが大事」と強調している。言い得て妙というほかない。
総じて、日韓文化交流の最前線では、日韓関係を厳しく受け止めながらも、自らの活動を肯定的に捉える言葉を異口同音に聞くことができた。また、厳しい環境にあっても活動を続けたいとの強い姿勢が滲み出て、文化交流の意味や可能性を再認識する絶好の機会となった。
国際政治の世界では、国際社会の事象を主権国家や国際組織を単位とする枠組みで捉えるのが支配的である。しかし、19世紀後半以降の国際社会は、様々な分野の民間団体・NGOや個人がアクターとして誕生し、国家や政府間の関係に属さない様々な関係が存在している。入江昭ハーバード大学名誉教授がその著「権力政治を超えて」のなかで「文化国際主義」との概念を構築し、現実の国際社会には国家や政府間の関係に属さない様々な関係が存在していることを指摘し、文化交流に「力と可能性」があることを強調している。また、アメリカの国際政治学者、ジョセフ・ナイ氏がハードパワーとしての経済力や軍事力とともに、文化(文学、芸術、娯楽、料理、音楽、映画、テレビ番組、自然景観など)をソフトパワーとして国力の概念に含ませたことにも留意する必要があろう。これをジャーナリズムの立場から見れば、国際社会の真の姿は国家・政府、国際組織に偏った取材では決して見えてこないということにほかならない。
「見た!韓国の素顔」の放送を終えて、すでに1年余り。「外交は切れても文化は切れない」との言葉を反すうしつつ、絶え間ない文化交流が冷却した日韓の国家関係にどのように作用し、変容をもたらすのか、筆者は今も自問し続けている。じんわりとしたはずの、その変容プロセスを追い続けることが日韓関係の「素顔」に迫る手法であると思うからである。
羽太 宣博(元NHK記者)