▶ 2015年12月号 目次

自著を語る「21世紀の格差」~実はトマ・ピケテイ批判の書~

高橋琢磨


13日金曜日の夜に起こった惨事

死者128人を出したパリ同時テロは、IS(イスラム国)が仕掛けた戦争行為で、起こってはいけないことが起こってしまったのだ。だが、それは拙著『21世紀の格差-こうすれば日本は蘇る』の射程範囲でもあった。
拙著の第4章は、格差問題はグローバル化の結果起こっている事象であり、グローバルな鳥瞰なしに、格差問題を語る資格はないといっている。中東イスラムの若者の失業率が70%を超えているのは異常だ。なぜイスラムだけが屈辱的な状況にあるのか。拙著はフランス国際関係研究所のモイジ特別顧問の中東には色濃く「屈辱」の気分が抱かれており、フランスの「ライシテ(政教分離)」は、第4の宗教になっていると指摘している。 フランス人であるトマ・ピケティの『21世紀の資本』には、グローバルな視点が欠けており、グローバルな格差の発生により、自国の国民に対し迫っている危機に対し何ら示唆を与えなかったのだ。そして、その視点を欠くがゆえに自国の碩学の言をも無視してしまった。
慶應義塾大学の樋口美雄教授は、『エコノミスト』に寄せた『21世紀の格差』の書評の中で、グローバルな視点をもって一つの専門にとらわれない論を展開していると著者のことを取り上げてくださった。しかし、それは、上記のようなグローバルに起こっているグローバル化のメリットを受けた中国、メリットを受けられなかった中東イスラムという対比にまでの言及はなく、ピケティ批判の書として直接とりあげてくださってはいない。
確かに、ピケティが、これまでアンケートでは漏れてしまうトップ1%について納税データから炙り出し、ポール・クルーグマンのような新古典派経済学者をうならせた。だが、問題の核心がトップ1%を形成する企業経営者や金融家・資本家の所得が急速に拡大している欧米に限定してしまったところにピケティの格差論の限界がある。それは、日本では正規労働者・非正規労働者の間の格差が拡大しているところへの言及ができなかった背景だ。
著者のピケティ批判は上記にとどまらない。それは、先進国での労働者の格差を論じるに際して、ピケティが、一見、アメリカの新古典派批判をしているように見えながら、新古典派の目で曇らされた格差論を展開していることだ。