▶ 2016年1月号 目次

自著を語る「21世紀の格差」2
若者を優遇しなければ一億総活躍社会は来ない

高橋琢磨


 総裁選を終えた安倍首相が突如唱え始めた1億総活躍社会は、きわめて評判が悪い。たとえば、新3本の矢は、1)希望を生み出す強い経済、3)安心につながる社会保障の3つは、いずれも矢というよりも的ではないかというもので、安保後を経済成長で人気回復した池田内閣をまねた政策に過ぎないというものだ。
実は、筆者も『21世紀の格差』の中で、女性も、ハンディをもつ若者も、誰もが70歳まで働き続ける社会を目指せといっており、ある意味で「1億総活躍社会」をうたっていた。
「1億総活躍社会」は、希望出生率(出産を望む女性のみを対象に算出)の1.8までの引き上げをうたっているように、将来人口としても1億を保とうというものだ。
国家が国民、領土、国家制度から成り立つとすれば、人口が亡くなるということは、国の滅亡だ。したがって、急性の人口減、たとえば東ベルリンから年率40万人の流出に対しては、東ドイツはベルリンの壁を築くことによって阻止し、その後の東ドイツを「奇跡の5%経済成長」の軌道に載せることができた。1980年代初頭のニュージーランドの年率0・5%を超える国民の流出には規制を撤廃することで食い止め、成長へと転換させた。
日本の場合は慢性人口減だ。これを日本は少子高齢化社会だととらえ、手をこまねいてきた。だが、いよいよ追い詰められてきた。そこで、筆者は、アベノミクスのミッションとは、慢性の人口減少への処方箋を書き実行することだという見方を提示してきた。つまり、ゆでガエルにはなってはならないのだ。
ところが、人口13億余をもち、1人子政策をやめ2人子政策に転じた中国でも、1億総活躍社会をうたう『21世紀の格差』が上海社会科学院の出版部から翻訳出版されることになった。その意味を問えば、人口減少の中で、活性化した社会を保つにはどうしたらよいのかを本書に見出そうとしたのだろう。

少子高齢化をもたらしたものは、日本社会が若者を虐待していることだ。ところが少子化対策大綱では、歴代内閣も、安倍内閣も、ポイントをはずしたままだ。若者虐待こそが若者の非婚や晩婚を促しているのだ。結婚できる若者とできない若者こそが「格差問題」の核心で、少子化現象とは後者のグループが増えたことなのだ。
ピケティは、トップ1%、10%に焦点を合わせながら格差問題を論じた。これに対し、筆者は日本では、「正規・非正規労働の格差」が大問題だと考える。若者を虐待し、少子化現象を促す意味合いがあるからだ。だが、問題はそれにとどまらない。正規で雇い入れた若者に対しても、終身雇用という制度が事実上消滅しているにもかかわらず、年功序列型の賃金体系を維持し、若者に対して「賃金を後ほど支払いますよ」という空手形を切る、半ば詐欺行為をしていることだ。年功序列賃金体系とは1955年に誕生した『春闘』体制なのだ。『春闘』体制には、いまやほんの一部に過ぎない人にしか適合しない若者をいじめる制度に変わりはてている。所得税制も社会保障制度もその一環だ。
若者をあるべき位置に配置しないで1億総活躍社会はあり得ない。正当性を持たない基盤の上に国は建てられない。