▶ 2016年2月号 目次

ミニゼミから  「イスラム報道」

松澤 拓樹


昨年(2015年)12月16日、「イスラム報道」をテーマにしたミニゼミが、慶應義塾大学三田キャンパスで開かれた。昨年11月13日に発生したパリ同時多発テロを契機とした最近のISをめぐる報道を中心に、研究所の担当教授と現役学生が、研究所卒業生である6名のジャーナリストと共に活発な議論を交わした。

冒頭、学生によるレポート発表があり、最近のイスラム報道に関してエドワード・サイードの「イスラム報道」を引用した考察が発表された。ここでは、日本の報道に見られるイスラム世界への姿勢が、常に欧米側の論理に立っているのではないかという指摘がなされた。学生から「今回のテロの要因が空爆にあった可能性を事件後早い段階で指摘する日本のメディアがあってしかるべきではなかったのか」と意見が出されたのに対し、記者からは「第一報で事実関係を断定することは難しい。ただ、その後の企画では踏み込んだ記事を書いている」と記事における速報性と詳細な解説を両立することの難しさが主張された。

テロの事実関係に関連して、記者側からは「どんな理由があれ、大前提としてテロは許せない行為である」と指摘があった。同時に他の記者からは「テロの歴史を複眼的に見てみると必ずしもその限りではない。イスラエルは1948年の独立獲得のために激しい反英のテロ行為を続けた」と歴史認識を確認した上で「今日IS攻撃の先頭に立つアメリカはこれを批判したことがない。テロは悪であると一言で片づけると欧米とイスラムの内実を見失う」という意見が出された。フランス革命あるいはロシア革命が一種のテロリズムであったという指摘もなされ、今回のテロもやはり欧米側の論理だけに頼り理解しようとするのはふさわしくないという意見が出された。

歴史上のテロの正当性の議論に関連して、ISがムスリムの代弁者ではないことも度々指摘された。学生からは「ISは自らが欧米側の論理に則ってテロ集団として報道され世界的脅威と認識されることを望んでいる」という指摘がなされ、ISのテロをセンセーショナルに報道をすることによって、彼らの劇場型犯罪に加担してしまう危険性が挙げられた。教授からはISの具体的な資金調達方法などに関して説明があった。その上で、ISがなぜ崩壊しないのかなど、もっと掘り下げた記事が書かれるべきであると指摘した。