▶ 2016年3月号 目次
衆議院解散権は安倍首相のものか?
栗原 猛
この夏は衆参ダブル選挙だとか、予算成立後繰り上げ解散があるのではないかなど憶測が広がっている。世界経済が激動しており、日本も少し中長期の視点で政策を考えなければならない大事な時期だ。解散・総選挙をして政治空白などを作っている余裕などあるのかと懸念する声も強い。
自民党は2014年暮れの総選挙で290議席と大勝した。「愚公山を移す」の故事ではないが、安定政権に財政再建や少子高齢化対策など深刻な課題に、腰を据えて取り組んで欲しいという期待があったからだと思われる。そうした要望を解散、総選挙をして政治空白をつくるのはもったいない限りである。自民党の幹部は「政治空白といっても選挙期間の12日だけで、心配はない」と言う。しかし国会議員は解散・総選挙と聞くと選挙区を向く。約3分の1の議員は落選で交代するから、積み重ねてきた議論は振り出しに戻る。選挙が近づくとメディアも選挙報道に力を入れるので、政治空白は公示日から投票日までの12日間ではないのだ。
日本では首相はいつでも衆院を解散できるので、解散権は「首相の専権事項」、「伝家の宝刀」と呼ばれる。ところが政権党に有利な時に解散するので、政治学者も公平、公正さに欠けると指摘する。
日本の議院内閣制のモデル英国では、2011年に「固定任期議会法」を制定し、解散は不信任案の可決以外は禁止とした。ドイツも首相の信任動議が否決された場合か、首相の不信任案が可決された時にしかできない。米国ではもともと大統領に解散権はない。先進各国が解散権を厳しく封じているのは、首相の恣意的な解散を防ぐ一方、頻繁に解散があると政治が不安定になるからだ。
解散権については日本でも深く考えた人物がいる。衆院議長だった保利茂氏だ。1977年、「保守再興」を掲げた福田赳夫首相は、解散権を振りかざして反対勢力をけん制した。このため自民党内から解散反対の署名運動が起きる。憂慮した保利議長は「国会議員は主権者である国民の厳粛な信託を受けて、立法その他の機能を果たしている。内閣に衆院の解散権があるからといって、内閣の都合や判断で一方的に解散できるものではない」と諌め、これをしたためた「保利書簡」は没後、公表された。今もう一度熟慮されていいだろう。
日本では衆院選挙はおよそ3年に1回、参院選挙もある。解散・総選挙は、政治家にとっては権力(首相の座)をめぐる争いだが、国民の立場からは政策選択という2つの機能を持つ。ところが政治家、霞が関、メディアは権力の争奪戦の方に関心が強く、そのため頻繁に総選挙があり首相選びが行われる。
権力闘争は否定しないが政治の王道はやはり政策の実現にある。総選挙が近いと国民受けを狙って、予算がばらまかれ結局、そのツケは国民に回される。
この国会は、昨年秋に野党各党が国会開会を強く求めたが、首相は外遊日程などを理由に応じなかったので、環太平洋経済連携協定(TPP)、安保法制、マイナンバーをはじめ課題山積である。アベノミクスで強調された大企業がよくなれば、国民も潤ってくるというトリクルダウンもまだ浸透していない。
格差問題は米次期大統領選挙でも争点に浮上しており、今や世界的な政治課題である。国際的に注視されている日本の財政再建も放置できない。日銀のマイナス金利導入で銀行の預金金利引き下げ、公的年金の運用失敗は国民の間に大きな不安を広げている。甘利明前経済再生担当相の金銭授受疑惑をはじめ「政治とカネ」の問題もある。高市早苗総務相の発言について、ある欧米の特派員は「きちっと対処しないと日本のメディアの信頼にかかわるのではないか」と言った。政治家の不祥事や不用意発言も目立つ。1強多弱の政治状況が続き政権のたがが緩んできているのではないか。
アベノミクスでは都合のいいデータが公表されるが、成果が上がっていないデータも公表した方が信頼を生むだろう。安倍首相は参院選挙で憲法改正の国民的議論を巻き起こし、おおさか維新も呼び込んで3分の2勢力を実現すると、進軍ラッパを鳴らしている。いささかイデオロギー過多な感じだ。
アベノミクスは国債、円、株式を巻き込んだこれまでにないスケールである。従って及びもつかないようなリスクも抱えている。戦前「欧州の政治情勢は不可解」といって政権を放り出した首相がいたが、国際政治の舞台では何の拍子に足をすくわれないとも限らない。中国の「帝王学」の古典に、政治リーダーについて「一国は一人を以て興り、一人を以て亡ぶ。賢者はその身の死を悲しまずして、その国の衰えることを憂う」(北宋・蘇洵)とある。重心を下げアンテナを伸ばし日本丸の安全なかじ取りを期待したい。
栗原 猛(政治ジャーナリスト)