▶ 2016年3月号 目次

自著「21世紀の格差」を語る 最終回
~米国への憧憬、そして財閥解体が残したもの?~

高橋琢磨


  日本の戦後はアメリカへの憧れから生まれた

 敗戦した日本を統治したGHQはA級戦犯の指名にとどまらず戦争協力者を公職から追放し、新憲法により女性の選挙権を初めて認める総選挙を実施した。女性議員39名を含み、80%が新人議員だった。
 それでうまく行くのか。戦後すぐに再公開された映画の一つが、ニューディール時代の1939年にフランク・キャピラ監督・製作の『スミス都へ行く』という民主主義礼讃映画だ。映画は戦後日本で共感をもって迎えられ、大ヒットした。映画評も「これぞアメリカ民主主義とか、民主主義の何たるかを理解したいのならば、この一本を見逃すな」といったものだ。
 吉田茂が、戦前の昭和が一時的な離脱をしたに過ぎないくらいに考えていたことは確かだろう。ところが、GHQとのやり取りの中で、頭のよい吉田は、大正デモクラシーくらいまで戻るだけでは不十分で、空白期も継ぎ足して考えなくてはいけないことをすぐに悟った。
 戦後がどう生まれ、何をもたらしたのか。日本的経営の基礎が労使協調をベースとした企業組織にあるということに異論は唱える者はほとんどいない。
 ところが、そうした組織の原型はどこに生まれたかという段になると、最近では戦中に生まれてという説が有力になっている。だが、『21世紀の格差』の姿勢は、戦中に生まれた部分もあるが多くは戦後の産物で、一種のハイブリッド、つまり55年体制の経済版、その表れが「春闘」だというものだ。
 考えてみるがよい。戦後のまぶしいようなアメリカは、『アイラブ・ルーシ―』『パパは何でも知っている』『うちのママは世界一』などのテレビドラマの中にあった。これらは、日本でも同時公開され、多くがあこがれを持ってTV,冷蔵庫など電化製品のそろったアメリカの家庭を覗き見た。
 こうしたアメリカへのあこがれが、戦後日本の産業をつくったのだ。家電産業しかり、自動車産業しかり、住宅産業しかりだ。そして自由にうごける自動車、家を持てるという自由、平等意識が民主主義をもたらせたという意味でも日本はアメリカの後を追った。
 ただし、住宅ではアメリカ並みに移動、住み替えるという「慣習」まで真似なかったために、スムーズな労働移動を妨げ、冷戦後の日本企業の競争力の低下と1800万戸を超える空き家を生み出すという負の結果を生んでいる。
 だが、負の結果を生んだのは、日本の当事者の驚愕したラジカルな農地解放をした結果でもある。農地解放は、新憲法の発布、戦後の耐乏生活との原体験とあいまって、小作人たちに天井が突き抜けたような明るさをもたらした。だが同時に土地神話ももたらしたのだ。