▶ 2016年4月号 目次
ジャカルタ・テロ事件の裏側で ——インドネシアにおける対テロ利権構造(1)
山本信人
「ジャカルタでの攻撃をもってISISはアジアでの新しい戦闘を開始した」と、2016年1月15日付けの米国『タイム』誌は見出しをうった。
2016年1月14日午前10時40分、インドネシアの首都ジャカルタ中心部で過激派による自爆テロ事件が発生した。この爆弾テロ事件では実行犯5名を含む8名が死亡し、重軽傷者は26名を数えた。標的はコーヒー・チェーンのスターバックス(米国)と、その前に置かれていた交番(国家警察)である。これはISISが犯行声明を発表した東南アジア初のテロ事件であった。今回のテロ事件は、ISISに忠誠を誓う過激派指導者アマン・アブドゥルラフマン師(反テロ法違反で服役中)が昨年インドネシアで結成した組織が実行し、シリア在住のISIS戦闘員バルン・ナイム(元受刑者)が資金提供などをした、とされている。
今回のテロ事件は、インドネシア政府に二重の衝撃をあたえた。第一に、インテリジェンス情報をもとに2015年末にから敷いていた厳重警戒態勢を解除した直後だった点である。
2015年11月13日にフランス・パリでおきた連続襲撃事件を受けて、インドネシア政府はISISがインドネシアで「コンサート(襲撃)」を計画しているとの警告を受けていた。そして、12月末には警察の対テロ特殊部隊を投入し、相次いでジャワ島にあるテロリストの拠点を摘発し、テロ事件を未然に防ぐことができていた。にもかかわらず、厳重警戒を解除し特殊部隊を撤収した矢先、ジャカルタでテロ事件が発生したのである。
不思議なことに、インドネシア当局は対テロ対策が不十分であったという批判はどこからもない。むしろ欧米を含む世界のメディアの論調は、インドネシアでのテロ対策が一定の成果をあげているかの報道をする。上記のテロ事件の際も、事件発生から1日も経たずに事件の背後関係を明らかにし、その後1週間ほどで関係先の捜査と容疑者の逮捕にいたったからである。
第二の衝撃は、あまり知られていないが、インドネシアにおける対テロ作戦と関係している。ジャカルタ・テロ事件の4日前から、インドネシア当局は大規模なテロリスト追跡作戦を展開していた。つまりジャカルタ・テロ事件とは、ISIS関連のテロ組織の活動を封じ込めようとするインドネシア当局の作戦をあざ笑うかの出来事であった。
その対テロ作戦とは、ティノンバラ作戦と名づけられている。場所は、インドネシア東部のスラウェシ島中部に位置するポソ県のジャングル。これはインドネシア国家警察と国軍との共同作戦で、インドネシアで最重要指名手配テロリストとされているサントソの追跡作戦である。
このティノンバラ作戦は、2014年に大統領に就任したジョコ・ウィドド政権下で最初の大規模な対テロ作戦である。報道によると、これまでにのべ3000名を超える警察官と軍人が動員されている。その中身は、警察機動隊が1500名、陸軍特殊部隊が880名、海軍特殊部隊が1000名、そしてこれに国家警察の対テロ特殊部隊がプラスされている。
ティノンバラ作戦はサントソの捕獲あるいは殺害を最大の目的としている。サントソはISISへの忠誠を公にした最初のインドネシア人テロリストであり、定期的にISISから資金援助を受けている、とされている。同時に彼は、2010年に組織された東インドネシア・ムジャヒディン(MIT)と称するイスラム過激派の指導者でもある。もともとムジャヒディンはイスラム教の大義に則ったジハードに参加する戦士であるが、最近はイスラム教徒の民兵を指すことが多い。MITは現在45名ほどのグループとされており、2013年からポソ県郊外のジャングル内を移動しながら身を隠している。
ところが、サントソを追跡するティノンバラ作戦に関する報道はほとんどない。ジャカルタのテロ事件の直後には、首謀者のナイムはサントソと接触していたという情報があったにもかかわらずにである。もちろんインドネシア国内のメディアはことあるごとに同作戦に関する報道をおこなうが、国際メディアは冷たい視線を向ける。あたかもそのような作戦は存在しないかのごとくの扱いである。
たしかに2016年3月25日現在、同作戦はたいした成果をあげていない。3月に入って9名のMITメンバーを殺害し、21名の関係者を逮捕した、という程度である。いまだにサントソの確保までにはいたっていない。逆に3月8日の時点で、作戦は当初の予定を2ヶ月延長して5月10日まで継続するという発表がなされている。3月19日には、作戦途中の陸軍ヘリコプターが墜落し兵士13名が死亡する事故が発生するという失態を演じている。しかもインドネシア当局はいまでは、ジャカルタ・テロ事件とMITとは無関係との見方も示しているほどである。
ではなぜティノンバラ作戦は継続するのか。すでに明らかなように、ティノンバラ作戦は当初よりジャカルタ・テロ事件とは無関係の文脈で開始されていた。むしろこの作戦は、2015年に国家警察と国軍が共同で展開したチャマール・マレオ作戦の延長線上にあった。チャマール・マレオ作戦もサントソ捕獲を第一義的な目的としていたが、1年間の作戦は無残な結果に終わった。にもかかわらず、なぜ新しい作戦を展開するのか。ここには対テロ政策をめぐる利権の構図が潜んでいる。
山本信人(メディア・コミュニケーション研究所長)