▶ 2016年6月号 目次

ポソのテロ・ビジネス—インドネシアにおける対テロ利権構造(3)

山本信人


2016年3月、筆者は12年ぶりにポソの地に足を踏み入れた。ポソの変容を観察し、既存研究の描写を確認する調査であった。そこで見たのはテロ・ビジネスの活況であった。
04年7月のポソは、暴動と放火のために廃墟になった商店、住宅、キリスト教会が無残な姿をさらしていた。交通もまばらで、街中に緊張感が漂っていた。移動には銃を携帯する「民間人」の手を借りた。中スラウェシ州都パルで筆者がインタビューをした牧師は、その2週間後に暴徒に襲われ命を落とした。
あの頃からポソでの暴力は第二段階に差しかかっていた。それは「テロ行為」の登場という段階であった。04年11月から自爆テロ事件が、ポソやパルで発生するようになった。ある統計によると、05年末までの段階で37名が死亡し、146名が負傷を負った。05年10月には3名の女子高生が首を切られ殺される事案が発生した。これを契機にテロ行為に対する警察の調査が本格化した。そして07年1月、二度にわたるテロ拠点の掃討作戦が展開された。ターゲットになったのはアマナ地区のイスラム宗教学校であった。11名のテロ容疑者が死亡し、64名が逮捕され、数十の重火器と手製爆弾、数千の爆薬が押収された。これ以降ポソでの平和が急速に回復した。
他方でイスラム急進派は、07年1月の事案が発生したアマナを合い言葉にするようになった。警察がハラム(禁止行為)の対象となり、イスラムにとっての敵として認識され、テロの対象がキリスト教徒から警察へと変化した。それは警察力と治安部隊の顕在化と軌を一にしていた。
ポソでの「宗教」紛争が始まった1999年時点、400名ほどの警察官が駐在していた。99年から01年までの紛争の激化は、警察力の弱さと警察に対する信頼の欠如であった。ところが暴動の激化と継続により、その状況に変化が現れた。07年1月には、機動隊を中心に警察力は5倍の2000名へと膨れた。05年からは陸軍大隊714部隊の駐留が始まった。ポソは治安部隊の町へと変貌した。
治安部隊の駐留は「治安プロジェクト」の蔓延を意味した。インドネシアで警察や軍に対する予算執行が不透明なのは日常茶飯事としても、紛争地ポソでは治安プロジェクトの名の下に汚職とその隠蔽は構造化し、本業以外でのビジネスが繁栄した。代表的な副業は、小火器の横流し、非公式な「要人」警護である。また、地下資源・天然資源の開発拠点の近郊に駐留部隊の基地が建設することで、ジャカルタ資本の資源開発会社の事業を間接的に支援する。
さらに、治安部隊はポソで各種の物品を購入する。売値の数倍もの金額を領収書として書かせる、あるいは「民間人」情報提供者に対する謝礼として高価な物品を提供する行為も定着した。こうした需要ゆえに、ポソには恒常的に高価な新品商品が入荷する。