▶ 2016年6月号 目次
「言論の自由を考える」-5・3集会から-
七尾隆太
憲法記念日の5月3日、神戸市内で開かれた「言論の自由を考える5・3集会」(朝日新聞労働組合主催)に参加した。29年前のこの日、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局で記者2人が殺傷された「朝日新聞襲撃事件」(概要を後述する)の翌年から、「事件を忘れず、市民と一緒に言論への暴力に立ち向かおう」(配布資料)と毎年開かれている。約500人が集まった。私はできるだけ出向くようにしている。
今回のテーマは「デモ×若者 社会は変わるのか」。昨年夏の安全保障関連法案の反対デモには多くの若者が参加したが、この動きは一時的な熱気に過ぎなかったのか、社会を変えるきっかけになったのか、を考えるのがねらいだった。パネリストとして、「SEALDs」メンバー、千葉泰真氏(明治大大学院生)と香山リカ(精神科医、立教大教授)、五野井郁夫(政治学者、高千穂大教授)、佐藤卓己(京大大学院教授)の各氏が登壇、ジャーナリスト津田大介氏が司会を務めた。
「SEALDs」(自由と民主主義のための学生緊急行動)は、安保関連法などに反対する学生団体で、昨夏はほぼ毎週末、国会前のデモを主催、ラップ調の抗議を連呼するなどして若い世代の共感を呼んだ。(「SEALDs」が生まれた経緯、基本的な考えに関しては『民主主義ってなんだ?』〈河出書房新社)が参考になる)。
千葉氏は活動を振り返り、「デモ参加者より、行かない学生の方が多いが、政治について考え、発言する学生が増えた。安保関連法は成立してしまったが、負けたとは思っていない、終わったわけではない」と述べた。五野井氏は「仕事帰りの人や子連れの女性ら普通の人たちがデモに参加するようになった」「若い人たちがけん引者となりメディアに訴え、政治参加を促したことは大きい」と評価、自身も抗議デモに参加したという香山氏は「萎縮している中でデモに行くと孤独ではない、と感じた。デモに参加すると、従来は奇異な目で見られたが、SEALDsの活動で敷居が低くなった」。こうした発言に対して、佐藤氏は「デモなど祝祭だけでは政治は変わらない、日常的な対話が重要だ」と延べ、マスメディアに対して、態度を決めかねている中間層に対する訴えかけ、情報が不足している、と指摘した。
「SEALDs」の活動の広がりには「ソーシャルメディアの『動員力』が大きな役割を果たした」(津田氏)。しかし、「ネットでつながると、同じ意見の人と接触することが増え、考え方が極端になっていく」(香山)、「2極化を推進するメディア」(佐藤)と注意を促した。
「阪神支局襲撃事件」は1987年5月3日夜に起きた。散弾銃を持った目出し帽の一人の男が支局に侵入、編集室にいた記者らに突然発砲。小尻知博記者(当時29)が死亡、犬飼兵衛記者(同42)が右手の小指と薬指を失う重傷を負った。表現・言論の自由を標的にしたわが国では前例のない事件だった。
支局3階には事件の資料室が設けられており、現場資料、写真や捜査当局が押収した証拠品などが展示されている。その日、記者らがすわっていたソファには、散弾の跡や鑑識が書いたチョークが生々しい。犬飼記者が胸ポケットに入れていたボールペンは弾が当たって「くの字」に変形している。小尻記者が着ていたブルゾンは撃たれた脇腹付近がこぶし大の穴が開いている。
阪神支局だけでなく、東京本社(87年1月)、名古屋本社社員寮(87年9月)、静岡支局(88年3月)などでも発砲事件や未遂が起きた。一連の襲撃事件は広域重要116事件に指定されたが、すべて未解決のまま2003年3月、全ての事件が時効となった。阪神支局襲撃の後、報道機関に「赤報隊」と名乗る人物から犯行声明が届いた。「反日世論を育成してきたマスコミには厳罰を加えなければならない。特に朝日は悪質である」「反日分子は一掃せよ」「反日朝日は五十年前にかえれ」などと書かれていた。
時効となった03年3月11日の朝日社説は「暴力には屈しない」との見出しを掲げ、「自分の意見が異なるからといって人を殺したり、爆弾を仕掛けたりするのを許すわけにはいかない。暴力がまかり通れば、自由にものをいえる社会は成り立たず、民主主義の基盤は壊されてしまう」と主張、「時効になっても事件の追及はやめない。暴力に屈しない」と結んだ。
29年後のいま、やまないヘイトスピーチ、ネット上での誹謗中傷、放送への監視を強める政府、強権的な政治……見過ごせない状況が続く。5・3集会でも、「集会をしていると、殺害予告が届く時代になった」(千葉氏)、「テレビメディアの萎縮ぶりはすさまじい」(香山氏)、「我々の社会は壊れかねない時期に来ている」(五野井氏)と懸念する声が相次いだ。
小尻記者の父信克さんは11年7月、母みよ子さんは昨年、事件解決の日を待ち望みながら永眠した。俳句に親しんでいた母のみよ子さんは次のような一句を残している。
憲法記念日 ペンを折られし 息子の忌
七尾 隆太(元朝日新聞編集委員)