▶ 2016年6月号 目次

5月18日ミニゼミリポート
「ジャーナリズム又は、ジャーナリストの基本とは何か~映画『スポットライト』を軸に~」

伊藤 綜一郎


2016年5月18日、「ジャーナリズム又は、ジャーナリストの基本とは何か~映画『スポットライト』を軸に~」というテーマのもと、2016年度第1回ミニゼミが、慶應義塾大学三田キャンパスで開かれた。映画「スポットライト 世紀のスクープ」を鑑賞し、それを踏まえ、調査報道のあり方を中心に、研究所の担当教授と現役学生が、6名のジャーナリストと共に議論を交わした。

 映画「スポットライト」については2016年4月号の陸井叡氏の記事を参照されたい。冒頭で5人の代表学生によって調査報道に関する疑問点の発表があり、それを基に議論が展開された。

まず、調査報道の出発点について議論が交わされた。事実・争点の掘り起こしは形式的なものではなく、「個人が疑問に思い声をあげる」ところから始まると記者は話した。例としてリクルート事件が挙げられた。この事件は朝日新聞などの調査報道よって明らかになったものだが、この件については当初、捜査当局が「事件にならない」として、一旦脇に置かれていたという。しか当時のあるデスクの「独自に調査する価値がある」という判断で未公開株が発見され、報道されるに至った。「事件にならなかったものを事件にする」のが調査報道だと記者は述べた。映画の中で印象的だったやり取りの一つに、「これを記事にした場合、誰が責任をとる?」「では記事にしない場合の責任は誰がとる?」というものがあった。問題点を隠してしまうことと問題提起をすること、双方に責任は伴う。決して誤りがないように慎重でありながらも、独自に問題を発見できるだけの経験を身につけた上で、時には大胆に問題提起をしていくことが重要だと考える。

 取材相手からの圧力への対処については、個人情報に注意を払うことや、複数人で立ち向かうことが重要だということを、実際に体験した「圧力」を踏まえ、記者が意見を述べた。圧力というよりむしろ、取材相手といわゆる「ズブズブ」の関係になってしまうことが怖いという主張もなされた。密着は有効な手段だが、一線を引くことも重要だという。

インターネットで情報を容易に入手できるようになった現代におけるジャーナリストの存在意義についても議論がなされた。学生は「一般の人が知りえない情報を公開することがジャーナリストの役割だ」と主張し、それに対し記者からは、それを深めた主張がなされた。記者は「ネット上にある」ものと「ネット上にない」ものがある以上、そこにジャーナリズムの意義を見出せるとした。