▶ 2016年9月号 目次

慶應義塾大学ミニゼミから 調査報道を考える

佐々木 凌


2016年7月6日、「現代の『調査報道』を考える」というテーマのもと、2016年度第2回ミニゼミが、慶應義塾大学三田キャンパスで開かれた。第一回のテーマ「ジャーナリズム又は、ジャーナリストの基本とは何か~映画『スポットライト』を軸に~」を発展させる形で、研究所の現役学生と、担当教授、綱町三田会のジャーナリストの方々とが調査報道の意義や難しさについて意見を交わした。

ミニゼミを開催するに先だち、学生全員が、山本博「朝日新聞の「調査報道」」(小学館文庫、2001)を読み、知識を共有した。

冒頭、日本の調査報道にはどのようなものがあるのか、なぜジャーナリズムでは調査報道が重視されるのか、調査報道はなぜ難しいのかという軸で三人の学生が事前レポートを発表した。まず、二人の学生が過去10年の新聞協会賞受賞記事の中から、調査報道で受賞している事例を紹介し、そこから読み取れる調査報道の多様性や社会的意義について発表した。続いての学生は、朝日新聞記者有志『朝日新聞 日本型組織の崩壊』(文春新書、2015)を元に、「吉田調書誤報問題」から読み取れる調査報道の難しさについて発表した。

 まず記者の方から指摘があったのは、調査報道は記者の問題意識からスタートしてメディアの責任で報じるものであるが、長期にわたって取材を続け、明らかにされてこなかった真実を暴く狭義の調査報道と、既に明らかになっている問題をより広く、深く取材し、その結果を一定期間連載する事で世論を動かそうとするキャンペーン報道の2種類があるということだ。

最も議論が盛り上がったのは、「新聞社は調査報道に更に力を入れるために、細かな取材や発表報道は通信社に回してしまった方が良いのではないか」という論点についてだ。例えば、毎日新聞は2010年に共同通信に再加盟し、国内地方記事などを通信社に任せる代わりに、生活に密接した問題や調査報道に力を入れようと方針を転換した。その後毎日新聞は新聞協会賞をとった、認知症身元不明者を巡る一連の報道、いわゆる「太郎さん問題」(※)を初め、調査報道で成果を挙げた。他の新聞社もこの方針に倣うべきではないかというのが議論になった。記者の方々からは、「経営の面から通信社に頼る部分は出てくるかもしれないが、調査報道の観点から言っても新聞社は細かい取材を続けていくべきだ」という意見が相次いだ。第一に、多くの場合調査報道の出発点となるのは、記者が日々の取材の中で感じた違和感であり、細かい取材をしなければ調査報道の端緒にたどり着けない。