▶ 2016年11月号 目次

大川小訴訟、未来志向の解決策を

中島みゆき


 東日本大震災の津波で犠牲となった宮城県立石巻市立大川小学校の児童遺族が起こした訴訟で、仙台地方裁判所が14億円の賠償を命じた判決は、地域に新たな問いを投げかけた。市と県が控訴を決め審理は高裁へと移るが、「真相究明」を求める遺族の心情と、法律に基づき過失責任を判断しようとする裁判の仕組みにの間には深い溝があり、簡単には埋まりそうにない。断層はなぜ生まれたのか。解決の方法はあるのか。大川地区に5年間通い地域を見守ってきた立場から、裁判という道を選ばなかった遺族も含め地域の人々が納得できる内容の和解が早期に成立することを望みつつ、裁判の経緯と展望をまとめる。
 
  ■51分と7分
   判決をめぐる思惑のズレは、原告遺族が「津波襲来までの51分間に学校で何があったのか」と「真相究明」を求めて訴えを起こしたのに対して、裁判では学校側の過失責任を判断するため「予見可能性」を最大の争点として審理が進められたことにある。
   震災当時の大川小学校は石巻市北部、新北上川河口から約4km、海抜1〜2mの釜谷地区にあった。全校児童数は108人。発災後、児童約20人が迎えに来た家族に引き渡されたが、校庭に留まり標高約7mの国道交差点付近に避難しようとした児童74人と教職員10人が死亡・行方不明となった。助かったのは児童4人と教員1人だけだった。震災後、石巻市教育委員会の説明は二転三転した。生存児童の証言メモが破棄されたことが明らかになったことなどもあり、不信感が募った。2013年から1年余にわたり第三者検証委員会による検証が行われたが遺族の納得は得られず、74人の児童のうち23人の19遺族が2014年3月、市と県を相手取り約23億円の損害賠償を求める裁判を起こした。
   判決は、役場広報車が避難を呼びかけた午後3時30分以降「大規模な津波が襲来し、児童に危険が生じることを予見したと認められる」として、津波到達直前の7分間についてのみ学校側の過失責任を認めた。震災前と地震直後の予見可能性は、学校が津波浸水予想域外にあったことなどを理由に否定された。裁判所は遺族が求めた生存教員を証人とすることも認めず、51分間の「真相究明」についてはいわば「ゼロ回答」だった。勝訴でありながら納得とは遠い認定に、原告遺族は判決後の会見で落胆の涙を流した。