▶ 2016年12月号 目次
2016初冬~ソウル旅行記(下)
羽太 宣博
ソウルを訪れたのは14日。朴槿恵大統領の辞任を求める3度目の集会から2日後だった。ソウル市庁前から光化門前広場にかけて26万人が集まり、「朴槿恵 辞任」と一斉に叫ぶ集会は民主化以降最大級の規模だったという。筆者が最も関心を寄せたのは、その規模とともに中高生や大学生などの若者が全国各地から大勢参加したとのニュースだった。あすの韓国を担う若者たちが今何を考えているのか。悪化したままの日韓関係をどう修復するのかという脈絡でも大いに気になっていたからである。そんな思いを胸に街へ出ることにした。
宿泊先のロッテホテルは、日本のロッテの傘下にある日系企業である。日本の政府や企業、観光客にもずっと親しまれてきた。日本語が通じる若いスタッフも多い。そんな気軽さから、玄関前の若い女性案内係に、タクシーでの所要時間を日本語で尋ねた。すると、女性は目もくれず、英語で「Ten minutes!」と発しだけで明らかさまに顔を背けた。
こんな目にもあった。予約済みのプルコギの店に着くと、準備された席にすぐ案内された。若い女性は一人4500円の焼肉を紹介するメニューを開きながら注文を促した。一人1500円のプルコギが目当ての筆者は、「アンニョム プルコギ ハゴ マッコリ ハンビョン チュセヨ」と注文。すると、女性は顔色を突然変えて態度を荒げた。「韓牛」と呼ばれる超高級焼肉の注文を期待していたのか、準備した食器をプルコギ用に替える際、これ見よがしに鍋や器で大きな音を立てる。ナプキンを投げつける。顔は眉毛を吊り上げふくれっつらのまま一言も発しない。かつて訪ねた折には、キムチのお替りにはすぐ応じ、出来上がる寸前のプルコギを鋏で食べやすく切ってくれるサービスまであった店なのに…。昨今の爆買いで知られる人たちと比較してか、「日本人はケチ!」などと聞こえてきそうな雲行きだった。
食べ物の恨みは恐ろしい。あと味の悪い「嫌な思い」が今も尾を引く。冷静に考えると、女性の「反日的?」な対応にも、朴大統領の辞任を求めて集会に参加する若者の意識にも何か通じるものがあるように思えてきた。
韓国は今、長年にわたって蓄積された経済・社会の構造的な問題に悶え苦しんでいる。財閥系の大企業を偏重する経済の仕組みは、国民の間に格差を拡大させてきた。サムスン電子や現代自動車など頼りの財閥10大グループの売上高はこのところ下降気味。韓国経済の先行きに不透明感が漂う。社会不安も一向にぬぐい切れない。2015年の自殺者は1万4000人近く、15歳から24歳の青年の死亡原因の1位は自殺だ。熾烈な受験戦争を強いられる教育ストレスが原因という。2016年の失業率は15歳から29歳で2桁台と高い。今回の事件で起訴された女性の娘が有名私立大学に不正入学し、「金も実力のうち」などと発言すれば、死に物狂いで勉強する生徒や勤勉に働く若い勤労者にとっては、火に油を注ぐようなものだったにちがいない。
一連の集会に参加する若者は、大統領を巻き込む不正事件をきっかけに、韓国の若い世代が共感する、経済格差への不満や怒り、社会へのうっ憤を爆発させたものと考えれば、その規模の大きさも理解できる。また、筆者のあの「嫌な思い」の背景にもなっているとすれば、幾分救われる。
最終日、ソウルの観光スポット、景福宮(キョンボックン)を訪ねた。正門の光化門広場周辺は、大規模な集会が嘘のように平穏な日常を取り戻していた。
後日、ソウルの大学で教える友人から集会についてのメールをもらった。「12日の集会が終わった翌朝、集会の最前線に残っていたのはほとんど大学生かそれより若い生徒たちだった…『中高生革命』という若者たちの集団を含めて…やはり若者の怒り、日頃からのうっ憤・不満はたまっているのかなと…」と記している。また、集会の盛り上がりを「韓国ならではの民主主義」と表現する。朴大統領の辞意表明という結果に照らし重く響く言葉だった。
景福宮では、山形県から修学旅行でやってきたという女子高生のグループに出会った。「韓国への関心は?」と問えば、アミューズメントパークの「ロッテワールド」と即座に答えた。変わる韓国の今を実感した。
羽太 宣博(NHK元記者)