▶ 2017年2月号 目次

ニュース国際発信の日々 ~ロンドン、そしてソウル~(中)

羽太 宣博


ニュース国際発信~ロンドン 

                             ■ロンドンでの東日本大震災
 2011年3月11日午後2時46分、三陸沖の海底でマグニチュード9.0の地震が発生した。予想を超える巨大津波が東北から関東地方沿岸を襲い、未曽有の大災害となった。東日本大震災だ。英国時間では午前5時46分である(以後、特別な事情がない限り、英国時間で表記)。地震の一報が私に届いたのはその数分後だった。ロンドンの中心から地下鉄で北へ30分のウッドサイドパークの自宅で、ベッド脇の電話が鳴った。ロンドンの春は意外に早く、空はすでに白みかけていた。電話はJSTVの泊り明けスタッフからだった。「日本で大きな地震があったみたいで、NHKからの映像が地震速報に切り替わってます。うち(JSTV)もこれを生で放送しますか」と判断を求めてきた。続けて、「三陸に大…大津波警報です。すごい揺れだったみたいです」との上擦った声に、いっぺんに目が覚めたのを覚えている。「今出してる番組をぶった切り、NHKの地震速報をすぐ放送してくれ」と伝え、すぐタクシーを呼んだ。

  私は仙台放送局に2度、合わせて7年間勤務した経験を持つ。JSTVに向う車中、災害担当の記者やデスクとして何度も訪れた、あの三陸の津々浦々、港湾施設や住宅地を守る防潮堤、そして宮城、福島の原発が脳裏に浮かんだ。「大丈夫だろうか…」と案じながら、地震発生から50分後、JSTVに着いた。オフィスに入るなり、衛星を使って送られてくる日本の映像モニターを凝視した。相次ぐ余震情報とともに、仙台市内、釜石、気仙沼などに設置したNHKの固定カメラが捉えた雑観映像が次々に流れていた。すでに津波が三陸沿岸の釜石や気仙沼などを襲い、漁船、車、住宅が流される映像が中継されていたことを知った。私に一報を伝えた日系イギリス人のスタッフが「母親が今、宮城の松島に近い七ヶ浜町に住んでいて、連絡がとれず心配なんです」と不安そうに吐露した。その直後だった。

■仙台からの津波中継映像
地震発生から1時間余り経過した、午前6時54分過ぎだった。NHKからの映像モニターの画面に、宮城県・仙台平野上空でヘリコプターが捉えた映像が飛び込んできた。生中継のテロップが入っている。初めは名取川を激流となって遡上する津波。そして、田畑、住宅、避難する車を飲み込む不気味な津波。これまで見たこともない映像だった。その先端は瓦礫を巻き込んでどす黒く、不気味な「悪魔の舌」のようだった。巨大な怪物が左右に舌を伸ばしながら獲物を狙うかのように見えた。「あっ!すげぇぇ…」と漏らしただけで、しばらくは言葉を失った。