▶ 2017年3月号 目次
ニュース国際発信の日々 ~ロンドン、そしてソウル~
ニュース国際発信~ロンドン(下)
羽太 宣博
■福島第一原発事故とメディアの報道姿勢
ロンドンで見つめ続けたNHK、イギリスBBCワールドは福島第一原発の事故をどう伝えたのであろうか。福島第一原発が緊急事態に陥ったあと、1号機建屋が水素爆発を起こすまでの段階、そして3号機に続き4号機の建屋も相次いで水素爆発を起こし、放射性物質が大量に放出された段階に分けて考察してみたい。
第1段階は、地震で起きた停電により、福島第一原発が「全交流電源喪失」という「異常事態」に陥ったことから始まる。地震発生から2時間後の11日午前7時47分、NHKは「冷却用の非常用ディーゼル発電機の一部が使えなくなった」との表現で福島原発が異常な事態になっていることをいち早く伝えている。その後、枝野官房長官は午前10時台の会見で、福島原発の「緊急事態」を宣言し、さらに正午過ぎには、原発から半径3キロまでの住民に避難指示が出たことを明らかにする。しかし、この情報も仙台平野上空からの衝撃的な津波映像の影に隠れて、メディアの関心はさほど高いものではなかった。また、メディアの間では、この「緊急事態」をさほど深刻な事態と受け止めていなかったのではないかとの指摘もなされている(注4)。
1号機建屋が大きな音とともに白い煙を上げた。水素爆発だ。すでに記したように、NHKは12日午前8時前、原発職員の爆発の目撃情報として伝えた。その際、スタジオに出演していた科学文化部の記者は「重大な事象が起きている可能性があります。万一を考え、近くの建物に入ってください。窓は閉めて、換気扇も止めてください。」などと繰り返し呼びかけたという。また、政府や東京電力に対し、国民やメディアに情報をしっかり開示するよう強く求め、深刻な事態にあっても情報が限られたものだったことが伺える(注5)。一方、BBCワールドは、1号機建屋の水素爆発の映像(日本テレビ系列の福島中央テレビが捉えた爆発の瞬間映像)を繰り返し放送し、深刻な事態に発展した福島原発事故を大きく取り上げた。また、放射能汚染に不安を訴える日本人の声も紹介する一方、イギリス人の原発専門家によるコメントとして、「炉心の冷却が行われる限り、人体への影響は少ない」などと伝え、福島原発の事故を冷静に伝える姿勢を示した。(注6)。一方、国内の電力の75%を原発に依存していた原発大国フランスの英語国際放送・フランス24は、原発のニュースを連日トップで大きく扱った。1号機の爆発については爆発の前後の写真を対比して示したNHKワールドの映像をそのまま使いながら繰り返し伝えた。この爆発の原因について、枝野官房長官が「水素が原因であり、格納容器までは破損していない」と明らかにしたのは、爆発から5時間後のことであった。こうした対応はパニックを恐れての慎重姿勢であったとの見方もできよう。しかし、世界が注目する深刻な原発事故に対応する日本政府、事故を起こした当事者である東京電力の情報の開示のあり方として、厳しく問われたことはいうまでもない。
英国時間14日午前2時過ぎ、3号機建屋が水素爆発。さらに、その夜9時過ぎには4号機の建屋も爆発した。地震のあった初日夜には、福島原発正面前の放射線量が基準の8倍に達していたほか、1号機の中央制御室では基準の1000倍の放射能を一時測定している。事故とともに大量に放出された放射性物質について、テレビ各社とも「直ちに健康に影響はない」などとする専門家の発言を引用しながら安心情報を中心に伝えた。その報道姿勢に、チェルノブイリ原発事故で放射性物質の恐ろしさを身に沁みて感じていたヨーロッパ各国のメディアとの違いの大きさを指摘せざるを得ない。ちなみに、福島原発事故を受けて、東京の大使館を大阪に避難させた国は32か国に上ったという(注7)。
■東日本大震災とニュース国際発信
ロンドンで経験した東日本大震災は、1000年に一度とも言われる日本の大災害を世界に伝え続けたもので、ニュース国際発信としても大きな意味を持つ。世界に生中継された仙台平野上空からの津波映像、そして世界中が注視した福島原発事故報道は、私にとってはニュースの国際発信を見つめ直すきっかけとなった。40年に及ぶニュースの取材・発信の現実にかまけて、忘れかけていたその理念・在りようを三思したところである。
あの「津波映像」からは、「ありのままの姿をそのまま伝えること」「現場主義を貫くこと」「何よりも公正、客観的でなければならないこと」。そして「福島原発報道」からは、「世界に通じる専門性が問われること」「批判する心に寄り添う気持ち」「国内情報も積極的に発信すること」が浮かび上がってくる。
4年にわたるロンドン駐在を終えて、東日本大震災のあった2011年9月に帰国。1年して韓国KBSワールドラジオの校閲委員としてソウルに赴くこととなった。ロンドンで見つめたニュース国際発信の日々をソウルでも過ごすこととなった。変容する国際社会にあって、問われる日本のニュース国際発信の在りようを炙り出せたらと思う。
羽太 宣博(NHK元記者)
(注4)「東京電力福島第一原発事故と発生直後のテレビ報道」(日本マス・コミュニケーション学会・2011年度秋季研究発表会・研究発表論文)P.2
(注5)このときの様子について、出演していた山崎記者は、「最悪のシナリオは原子炉の破損でした。生放送の最中で、次に何をしゃべろうかと、混乱した頭で考え始めていた」と述懐している。水野倫之・山崎淑行・藤原淳登『緊急解説!福島第一原発事故と放射線』(NHK出版新書)第4章
(注6)「海外のテレビニュース番組は、東日本大震災をどう伝えたか」(放送研究と調査 2012年3月号)P.73~75
(注7)「海外のテレビニュース番組は、東日本大震災をどう伝えたか」(放送研究と調査 2012年3月号)P.60