▶ 2017年4月号 目次
ニュース国際発信の日々
~ロンドン、そしてソウル~
ソウルへ赴く(上)
羽太 宣博
■31年ぶりの金浦空港
2012年9月3日午前11時過ぎ、ソウル金浦空港に降り立つ。金浦空港は、1981年1月に初めての海外出張で訪れて以来、31年ぶりとなった。韓国の国際放送の一つ、KBSワールドラジオ日本語班の校閲委員として赴くためだった。
その3週間ほど前の8月10日、李明博元大統領が竹島(韓国でいう独島:ドクト)に上陸していた。14日には天皇陛下に対して屈辱的ともとれる「謝罪」を要求し、日本では天皇陛下に対する「侮辱発言」として強い反発を招いていた。ソウルへの第1歩は、日韓関係が急速に悪化し始めた直後のことだった。その韓国へ赴く私を慮ってか、「なんで好き好んで…」「不快な思いをするだけ…」「やめたら…」などと、本気ともとれる冷やかしの言葉を繰り返し浴びる羽目となった。それでも、KBSの校閲委員にこだわったのには、いくつもの理由があった。まず、ニュースの取材・発信に携わって、足掛け38年の経験を生かしたいと思った。ニュース現場への回帰願望は、還暦をとうに過ぎてなお萎えていなかった。歴史的・社会的に日本と深い関係を持つ隣国、韓国への好奇心もあった。朝鮮戦争で疲弊した韓国が世界屈指の早さで先進国入りを果たした歩み、国際社会で次第に強めている存在感、日本を上回る若者の英語力や留学熱が示すグローバル化の波を肌で感じたいとも思った。時に軋み、反発しあう日韓関係とともに、日本、アメリカ、韓国、中国、北朝鮮、ロシアの国益が絡み合い、揺れ動く北東アジア情勢も大いに気がかりだった。
韓国行きを最終的に決意させたのは、この「メッセージ@pen」の2月及び3月号で詳述した、ロンドンでの体験だった。ロンドンの日本語衛星放送「JSTV」の放送担当副社長として駐在中に直面した、「東日本大震災報道」である。地震発生の直後、日本の国際放送「NHKワールド」が世界に発信した、巨大津波の中継映像が9600キロ離れたロンドンでも数秒の遅れで流れ、BBCワールドがその映像をそのまま世界に発信したこと。そして、世界中がくぎ付けとなった東京電力福島第一原発の爆発事故では、日本のメディアが政府・東京電力の発表した安心情報を中心に伝えたのに対し、ヨーロッパのメディアは、爆発の映像を繰り返し使いながら、放射性物質の拡散に警鐘を鳴らし続け、双方の報道姿勢が大きな違いを見せたことであった。ロンドンで目の当たりにした、日本の放送史に残る災害報道は、事態の進展とともにニュース国際発信の原点を私に問いかけるものとなった。
ロンドンから帰国して数か月後、KBSワールドラジオ校閲委員の仕事の話が舞い込んできた。グローバル化の著しい韓国でニュース国際発信に携わり、その意味と在りようを日々見つめ直すことができると考えたら、迷うこともなく決心することができたように思う。
金浦空港に降り立ったのは、東日本大震災から1年半後のことであった。
■期待と不安
KBS校閲委員の道を自ら望んだ私は、期待に胸を膨らませていた。その一方、軋み始めた日韓関係の行く末に一抹の不安もあった。折しも、当時の石原慎太郎東京都知事が東シナ海の尖閣諸島を購入する計画を示したことで、日中間の領土をめぐる対立が厳しさを増しつつあった。これに呼応する韓国が竹島問題を歴史認識の問題と絡めて反日感情をさらに強め、日韓関係が修復不能になるまで悪化するとの見方も出ていたからである。
朝から正午前にかけて、日本や中国からの着陸ラッシュが続く金浦空港のロビーは、観光客やビジネスマンでごった返していた。韓流ドラマファンなのだろうか、熟年女性のグループも目立った。神奈川県から修学旅行にきたという高校生の一行もいて、韓国語さえ聞こえなければ日本の空港と見まちがうほどであった。当時の日本語班のチーフら2人が笑顔で出迎えてくれた。活気に満ちた金浦空港では、日韓関係の軋みは微塵も感じられなかった。
日韓関係はその後、懸念したとおりに冷え込んでいく。李元大統領の後継を決める大統領選挙が2012年12月に実施され、前大統領の朴槿恵氏が選出された。親日派とされる朴正熙元大統領が父親であったことなどから、当初は日韓関係が改善に向うと期待する向きもあった。しかし、期待は外れる。朴前大統領は、竹島、慰安婦、靖国参拝、教科書のいわゆる「反日4点セット」をめぐって、「正しい歴史認識」との言葉を繰り返し使って、反日姿勢を強めていく。李元大統領の天皇陛下に対する謝罪要求は、韓国内でも「一線を越えるもの」として批判する声も上がったという。この「行き過ぎた反日」がこれまでになく、広くかつ深い「韓国離れ」を日本に生む結果となった。反日が嫌韓を生み、さらに反日を繰り返す「反日と嫌韓の連鎖」はますます深刻になるばかりだった。
羽太 宣博(元NHK記者)