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台湾を旅して——ガイドさんと行く「台湾の忘れられた日本人」

高原 安


 仲間と5月末、台湾旅行をした。関西国際空港発の台湾縦断3泊4日の旅。
 旅程は、お決まりの観光コースで、北の台北を足掛かりに九扮、故宮博物館や忠烈祠、中正記念堂。台中から日月潭、宝覚寺。高雄では蓮池譚、高雄圓山大飯店に宿泊、台南に戻って赤嵌楼を見学した。
 旅の楽しさは、道連れの仲間とガイドで決まる。ガイドさんが楽しかった。
 蘇さんという。年を聞いてビックリの71歳。160センチに満たない小柄ながら、肌はスベスベ、聞きながらこちらの頭の中で日本語変換に迷う場面はあったものの、大きな声と熱意、バイタリティーに圧倒された。
 1946年(昭和21年)4月8日、台湾の中部・南投郡の烏龍茶の生産で知られる凍頂山の茶生産の大家に生まれた。ご先祖さまが中国・福建省から移住して約300年。祖母は纏足をしていたという家柄。ここに兄妹の中の女の子として育ったが、20歳過ぎに故郷を出て台北で働き始める。間もなく日本人の技術者と結婚、日本にも住んだ。娘さんが大学を台湾へ留学、台湾の男性と結婚し台北に住む。だから蘇さん本人はいま、日台の両側に住み、足をかけている。台湾では日本の観光客を、また台湾のお客さんを日本で、とガイドのキャリアだけでも30年を超える。いまや生活のためというよりは、ガイドで接するお客さんとの関わりが楽しいという。
 蘇さんの台湾でのガイドには、日本人が忘れている台湾での日本人たちの話が多かった。「戦前」という言葉もキーワード。太平洋戦争で日本が敗戦を迎えるまでの日本統治時代に、日本人が台湾のために何をなしてくれたのか、と。
観光地・九扮へのバスの中では、世界に台湾の地名を冠したラジウムの石・「北投石」を発見し、知らしめた地質学者岡本要八郎と東京帝大の鉱物学者神保小虎たち。命名は1913年(大正2年)のことだった。その後に、日本の秋田・玉川温泉でもラジウムが見つかり、世界でも天然のラジウム鉱石が見つかるのは台湾の北投と玉川だけなのだと知った。
九扮は、いまや宮崎駿のアニメ『千と千尋の神隠し』(2001年)の湯婆婆の銭湯のモデルになった(ともっぱら噂される)茶店や、長く細く続く石段の街に紅灯が入った懐かしさのある街並が観光ルートの人気となっている。日本統治時代の面影を色濃くとどめている。
 もとは金を産出した鉱山の街であった。ヤマは廃れたが、侯孝賢監督の名作『悲情城市』(1989年)のロケ地として再び脚光を浴び、今日の賑やかさの始まりとなった。人気スポットの坂道に、その名を冠した茶店もあったが、その屋号の由来を知る観光客は少ないだろう。
 映画は、日本が敗戦を迎え「玉音放送」の場面から始まる。入れ替わりに中国本土で共産党軍の攻勢の前に、敗色濃い中華民国の軍隊が入ってきて、蒋介石総統が拠点を台湾へ移す(1949年)までの時代の移り変わりを背景に描かれている。この時代、本土からやってきた国民党の人は、以前から台湾に住んでいた「本省人」との対比から「外省人」と呼ばれる。1947年2月28日には、腐敗と横暴なふるまいの「外省人」への憤懣が、ささいな街頭の商人のトラブルから「2・28事件」と呼ばれる大規模な蜂起・暴動が起き、民国軍は徹底的な弾圧に出る。戒厳令が発せられ、この戒厳令は、国民党政権が蒋介石・経国親子亡き後に李登輝が民選で総統となった1996年の民主化が進むまで解除されることはなく、数万人が処刑などの犠牲となったとされる「2・28事件」も封印されたまま、表立って語られることすら禁じられていた。それだけに、事件の時代を描いた「映画」は、台湾が経てきた「歴史」を初めて表現したものとして注目され、世界からも喝采を浴びた。