▶ 2017年9月号 目次

<シネマ・エッセー>関ヶ原 

磯貝 喜兵衛


東海道新幹線に乗り、列車が「関ヶ原トンネル」を通るたびに、私の思考に”転換”のスイッチが入ります。上り列車のときは「これからは東日本だ」という一種の緊張感。下りの場合は「関西に帰った」という感慨です。トンネルの西側、近江にルーツを持つ私にとっては、横浜が終の棲家となった今も昔も,変わらないのです。

滋賀と岐阜の県境にある「天下分け目の」関ヶ原の合戦は、司馬遼太郎の原作を映像化した大作。公開と同時に映画館へ駆けつけました。豊臣秀吉が慶長3年(1598年)伏見城で死去(62歳)した2年後の秋。天下取りを狙う徳川家康(役所広司)の東軍と、豊臣家の再興を賭ける石田三成(岡田准一)の西軍が、史上最大の死闘を繰り広げた6時間の攻防を中心に、ドキュメンタルに再現しているのですが、私が一番興味を持ったのはやはり、秀吉子飼いの三成の人間像と、その哀れな最後でした。

出世街道を突っ走る秀吉が長浜城主となったある日、鷹狩の帰途に立ち寄った寺で茶を所望したところ、給仕に出た寺の小姓・三成が最初大ぶりの茶碗にぬる目の茶を一杯に入れて出し、もう一杯所望されると、少し小さ目の碗にやや熱くした茶を出します。さらに所望された3杯目は小ぶりの碗に熱く点てた茶を出したのです。客の様子を見ながら、その欲するものを出す心働きに感心した秀吉は、その小姓を城に連れて帰り家来とします。豊臣家の”文官”として、五奉行の一人にまで出世する石田三成の有名なエピソードです。