▶ 2017年10月号 目次

ニュース国際発信の日々~KBS校閲委員の730日~ 

羽太 宣博


円安ウォン高は “被害”か?

                                 2012年12月、日本と韓国は暦の上ばかりか、文字通りの新年を迎えることとなった。16日の衆議院選挙で自民党が圧勝し、安倍政権が誕生する。韓国では、20日の大統領選挙で、朴槿恵氏が選出された。とはいえ、歴史認識や竹島の領有をめぐる、日韓の対立が緩和する兆しはない。韓国では、メディアが「極右」と評する安倍政権の誕生に、憲法改正や安保法制への取り組み、「河野談話」、「村山談話」の見直しや靖国参拝への意欲などに言及しながら、対立を増幅すると警戒心をあらわにした。とりわけ、韓国が懸念したのは経済政策だった。「日本を取り戻そう」と呼びかけ、日本経済の復興を目指したアベノミクスであり、「量的金融緩和Quantitative-Easing)」だった。韓国は、リーマンショック後の急激な円高ウォン安を背景に、国際競争力を高めてきたといわれる。2012年、中国との貿易額で日本を抜いて1位となった。当時、韓国のGDPに占める貿易依存度は輸出入合わせて97%だった。円安ウォン高へと向う日本の量的緩和は、国際収支に多大な影響を与える点で、貿易立国の韓国には見過ごせない動きだった。
 円相場を振り返ると、2008年9月の「リーマンショック」以降、急激な円高に振れていく。その背景には、世界的金融危機に比較的安全な資産の円を買う動きが強まったことが挙げられる。2011年8月には史上最高値の1ドル75円台をつけた。アベノミクスは、この危機的な円高で落ち込んだ日本経済を再び活性化させようという、政権公約だった。韓国ウォンに対する円は、2008年の100円=1070ウォン台から次第に円高へ向かう。1300ウォン台で推移したあと、2012年1月には1500ウォン台をつけた。ところが、9月のアメリカによる金融緩和第3弾(QE3)やアベノミクスに対する期待感から、一転、円安ウォン高へと流れが変わる。12月には100円=1,200ウォン台、翌年の5月には1,000ウォン台、2014年6月には900ウォン台へと円安が進む。円は2年で40%近くも下落し、日本と競合する韓国の輸出関連企業に影響を及ぼしていく。2012年の年末は、円の為替レートの潮目でもあった。
日本の量的緩和や円安ウォン高を憂慮する韓国メディアの報道(日本語版)は、次第に拍車がかかった。円安に対する懸念や苛立ち、不快感を込めて論ずる社説や論説が目立った。中央日報は18日、「韓国経済に“日本円の襲撃”警報が出た」との書き出しで始まる論説を掲載した。東亜日報は19日、外部有識者の声として、アベノミクスが世界的な為替相場戦争への懸念を提起したと論じた。朝鮮日報も「ウォン高の奇襲を受けた輸出産業の悲鳴」と題した社説に続き、27日には「アベノミクス始動で円安加速」と続けた。2013年の新年が明けると、各社の報道はさらに加速する。中央日報は、「円安の襲撃」「円安空襲」などの表現を使い、韓国を訪れる日本人観光客が急減したこと、日本向け輸出が減少し始めたことを伝えた。さらに、「アベノミクスの最大の被害国は韓国」「輸出中小企業の93%、ウォン高で被害」などの見出しが躍り、円安を「被害」と表現した。また、黒田東彦日銀総裁が就任直後の4月4日、アベノミクスに呼応した「異次元の金融緩和」を導入すると、「円安ショックはこれから」「円安非常事態」などと題した論説、社説が相次ぎ、円安の長期化が避けられないとの見方を強めていく。