▶ 2017年11月号 目次

「小池百合子」という政治家は責任のとり方を知らない

木村 良一


 今回の衆院総選挙は、新党「希望の党」代表に名乗りを上げた東京都知事の小池百合子氏が、台風の目になると思われた。しかし、選挙戦序盤からその台風の勢いは衰え、あっという間に温帯低気圧に変わってしまった。
 なぜ小池氏の勢いが衰えたのか。巷では「排除の論理」で民進党の革新派を追い出したことが原因だとみられているが、私はそうは思わない。
 希望の党の立ち上げで活躍した若狭勝氏や細野豪志氏を「リセット」という一言で黙らせ、党代表に就いた以上、小池氏には出馬する責任があった。
 つまらない打算など抜きに都知事を辞して堂々と衆院選挙に立候補し、選挙を戦い抜く覚悟を世の中に示すべきだった。
 大衆の期待に反し、衆院選に出馬しなかったことが、小池氏の大きな敗因である。大衆にとって台風の消えた選挙など面白くも可笑しくもないからだ。
 天も怒ったのだろう。10月22日の投開票日には超大型の本物の台風が日本列島を襲った。その結果、投票率が悪くなり、野党に入るかもしれない浮動票が動かなかった。
 ここで小池氏の動きを中心に選挙戦を振り返ってみよう。
 9月25日、安倍晋三首相が衆院解散を表明した。野党第1党民進党のゴタゴタの内部事情に加え、小池新党の進まない設立準備状況を見て「いまこそ、解散が得策だ」と判断したからだ。
 都議選で小池氏の「都民ファーストの会」の前に自民党が大敗したことも大きい。28日召集の臨時国会冒頭で解散してしまえば、「森友・加計」疑惑の追及を受けなくて済み、与党の勢力を挽回できるとも考えたのだろう。
 しかし、小池氏の方が一枚ばかり上手だった。この解散表明と同じ日の25日、小池氏は都庁で緊急の記者会見を開き、新党の「希望の党」を立ち上げ、自ら代表に就任することを宣言した。
 それまで「都政に専念する」と国政に距離を置いているとみられていただけに大きなサプライズとなり、大衆は小池氏の勘と度胸に酔った。見事に「小池劇場」は成功した。