▶ 2017年1月号 目次

「ネット時代だからこそ、新聞やテレビは信頼を失ってはならない」

木村 良一


 つぶやきのツイッターなんて遊びだし、フェイスブックもファッションに過ぎない。こう軽く考えていたら、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を巧みに使った男が、米国大統領選で勝利したのだから驚いてしまった。その驚きは、自ら信じるところを失いかけたほどだった。
 インターネットの発達とともに新聞やテレビに変わる新しいメディアが次々と登場し、世界を変えている。SNSは既存メディアに取って代わりつつある。今年もSNSに絡んだニュースは多いだろう。年始め、ちょうどいい機会なのであらためて考えた。
 ちょうど6年前、この「メッセージ@pen」(2011年1月号)で「新聞やテレビが失ってはならないもの」というタイトルを付け、ひとつのメディア論を書いたことがある=URL参照。
 その記事では、尖閣諸島沖で中国船が日本の海上保安本部の巡視船に衝突した模様を撮影した海保のビデオが、インターネット上の動画投稿サイトのユーチューブに流出した事件を取り上げた。ユーチューブは放送局のような設備や配信網を持たなくとも、簡単に動画を世界中に見せることができ、だれもが放送局になれる。しかし「2ちゃんねる」がそうであるように信憑性の欠如という大きな問題がある。投稿される情報をノーチェックで掲載しているからだ。
 記事中こうも指摘した。新聞やテレビのニュースは、情報をきちんと調べた上で報じている。「公器である」との自覚があるからおのずと報道倫理が働き、事実かどうかの真偽がつかない場合は取り上げない。インターネットの発達によって既存メディアが情報発信を独占する状況は崩壊したかもしれないが、新聞やテレビの存在価値が失われたわけではない。新聞やテレビのニュースはまだまだ信頼されている。
 この信頼は訓練を積んだ記者が社会で起きる事件や事故をひとつひとつ取材し、責任を持って報道するからこそ生まれる。新聞やテレビは読者や視聴者の信頼を失ってはならない。
 2011年4月号でも「メディアがどう変わろうと、現場の記者の仕事を変えてはならい」と訴えた=URL参照。新聞社は多くの記者をデジタル画面作りに投入している。これまでの紙面作りだけでは経営が成り立たないからだ。しかし新聞記事を切り取ってデジタル画面に次々と貼り付けるのが、記者の仕事ではない。目の前で起きていることを自分の目で観察し、ときには朝駆け夜討ちといったレッグワークで地べたをはいずり回りながら取材相手の本音を引き出して記事を書く。